4.ノンフィクション

2009年9月 8日 (火)

かっこちゃんI

画  作:池田奈都子
出版社:インフィニティ
出版日:2009年7月26日第1刷発行
評  価:☆☆☆☆(説明)

 株式会社インフィニティ・志経営研究所様から献本いただきました。感謝。

 以前にも「テラ・ルネッサンスI」というコミックをいただいた。これらは「「心を育てる」感動コミック」というシリーズで、企業の「人財育成」として、思いやりと優しさ・感謝の心を育んでもらうことを目的としたもの。金融機関やメーカー、人材派遣会社などが社員研修用に購入しているそうだ。
 最初のエピソードで泣いてしまった。私は簡単には泣かないのだけれど、ポロポロと涙がこぼれた。タイトルの「かっこちゃん」とは、石川県の養護学校(特別支援学校)の山元加津子先生のこと。本書には「かっこちゃん」が体験した、子どもたちとの間の話、おもしろイイ話など5つのエピソードが紹介されている。
 主人公として登場する子どもたちは、手足が不自由であったり難病に侵されていたりと、ハンディキャップがある子どもたちだ。その点では、盗作疑惑で回収という結果になった「最後のパレード」の中のエピソードのいくつかと同じなのだけれど、あちらでは泣けない。盗作云々が問題なのではない、ではどこが違うのか?

 「最後のパレード」のエピソードは「ディズニーランドが何をしたか」につきる。なくしたサイン帳の代わりにキャラクター全員のサインを用意する、パレードのダンサーが手を取りに来る、余命半年と告知された子どもを一生懸命励ます。どれも感動的ないい話だけれど、その主役はディズニーランドのキャストの方、ひねくれた見方をすれば、これは営業用の感動だ。
 それに対して本書の感動の主役は、子どもたちとその家族、つまり生の感動だ。よくよく見ると、「かっこちゃん」は何か特別なことをしているわけではない。子どもたちの話に耳を傾け、悲しいときや苦しい時に寄り添い一緒に悩み、時には子どもたちに勇気付けられる。壁を破るのは、子どもたち自身の力と家族の愛だ。「みんなみんなそのままが素敵。」という言葉はいささかありきたりだが、本書の最後に目にするとキラキラして見える。

 もちろん、特別なことはしていない、と言っても「かっこちゃん」は特別だ。特別ではない普通のことが、実は誰にでもできるわけではない。それから「かっこちゃん」は、この子どもたちの大切さや素敵さを、世界中の人に知ってもらうという特別な使命のために本を書き、講演する。それは、ある少女との約束でもある。本書もその使命の一端を担うのだろう。私もたくさんの方に読んでももらえるようオススメする。かっこちゃんと少女の約束のために。
 最後に、読むときは一人でいる時に。誰かが近くにいると、無意識にでも感情を抑えてしまうので泣けませんから

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2009年8月16日 (日)

中学生が考える-私たちのケータイ、ネットとのつきあい方

著  者:大山圭湖
出版社:清流出版
出版日:2009年7月27日 初版第1刷発行
評  価:☆☆☆☆(説明)

  東京の区立中学校の先生である著者が、2005年からの3年間に受け持った子どもたちと、昨年に1年生で受け持った子どもたちとの「ケータイ、ネット」に対する取り組みをつづった本。現場の先生の報告として、あまたある教育評論家のご高説よりも一読の価値あり、だと思う。

 何年か前に子どもたちの様子がヘンだ、と気が付いたのが事のきっかけだ。著者によると、毎日居眠りしたりぼんやりしたりしている子が何人かいるそうだ。それ自体は別にヘンなことはない、昔から成長期の中学生は眠いのだ。ヘンなのは、授業中以外も体調不良を訴え、いくら注意しても改善せず、同じことの繰り返しなことだそうだ。
 つまり、体調不良は夜更かしによる睡眠不足が原因、体調不良にまでなれば本人も「これはマズイ」と思うので、以前はそんな状態が長く続くことはなかった、ということなのだ。それで、養護教諭などの話から分かった原因はメール。夜中まで、時には明け方までメールを友達としているそうなのだ。本を読んだりテレビやゲームなら、自分がマズイと思えば止められるが、メールが相手があることなので、止めようにも止められない、ということらしい。

 「まったく、最近の中学生は何をやってるんだ(怒)。中学生にケータイなんぞ与えるからロクなことにならんのだ!取り上げればいいんだ。」という方もいるだろう。私の職場でも「子どもと携帯電話」という講座を公民館や学校でやっていて、そのアンケートを見ると中高年の男性にそういう方が多い。
 もちろん「取り上げればいい」なんて、そんな簡単な事ではない。(青少年育成関係の方で「簡単なことだ」と思っている方がいらっしゃったら、この本を読んで考え直してみることをオススメする。)そこで、普通の人は「子どもたちにケータイの危険性を指導しよう」となるだろう。著者のやったことはそれとも違う。「子どもたち自身に考えてもらった」のだ。
 これは手間のかかることだ。「指導」なら1~2時間ぐらい話して聞かせればできるだろう。しかし、効果のほどはあまり期待できない、残念だけれど。子どもたちが自分で考えるとなると時間も必要だし、話の方向がどこを向くか分からない。しかし、子どもたちはちゃんとゴールを見出したのだ。著者があとがきに曰く「<中学生って、大したものだ>と何度も思ってきましたが、今回は、今までで一番そう感じています」ここには信頼がある。そして、この本には全国の同様の取り組みへのヒントがある。

 この後は書評ではなく、この本を読んで思ったことを書いています。お付き合いいただける方はどうぞ

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2009年4月15日 (水)

テラ・ルネッサンスI

著  者:田原実 絵:西原大太郎
出版社:インフィニティ
出版日:2008年11月21日第1刷発行
評  価:☆☆☆(説明)

 株式会社インフィニティ・志経営研究所様から献本いただきました。感謝。

 「本読みな暮らし」初登場のコミック。本書は「「心を育てる」感動コミック」というシリーズの第3弾。紛争地域の地雷除去や、戦乱の犠牲者である子ども達の保護や社会復帰などを行っている、NPO法人テラ・ルネッサンスと、その理事長の鬼丸昌也氏の活動の記録、ノンフィクションだ。
 「世界には6000万~7000万個の地雷と、約30万人の子ども兵が存在している」。この事実が、20代の鬼丸氏をこの活動へ、そしてウガンダへ向かわせた。そして氏が目にし本書に綴られたことは、恐らくほとんどの日本人が知らないでいる彼の地の悲惨な現実。取材に応じた子ども達の証言でそれが明らかにされている。私は「アフリカ 苦悩する大陸」を読んで、その一端は垣間見たけれど、その時はこういう臨場感は感じられなかった。

 実は、本書は1か月前に手元に届いていて、その日のうちに読んでいた。記事の掲載が遅れたのは、何を書けばいいのかを考えていたからだ。面白かったとか役に立ったとかの感想を書いたり、ストーリーがどうとかの評価をしたり、といったことでは、本書の紹介として足りないのではないか、と思ったのだ。
 本書を読んで私が受け取ったのは「この事実を知ってあなたはどうしますか?」という問いかけだった。それで、これへの返答を考えてから記事にしようと思って、今日になってしまった。その答えは「自分ができることをする」だ。拍子抜けするほどありきたりで、ホントに考えたのか?と言われそうだけれど、これが答え。

 ただ「自分ができることをする」とは「必ず何かをする」という決意も意味する。鬼丸氏はウガンダへ行き、出版元のインフィニティの田原社長は本書を出版し、売上5%をNPOの活動に寄付する。私は同じような影響力のあることはできないけれども、何かをすると決めたのだ。
 考えれば、寄付や会員費として資金を援助したり、誰かにこの話をしたり、本書を読むように促したり、できることは意外にたくさんある。でも、意識してやらないと何もできない。NPOのHPへのリンクも付けておいたので、一度覗いてみて欲しい。

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2009年4月 2日 (木)

ローマ亡き後の地中海世界(下)

著  者:塩野七生
出版社:新潮社
出版日:2009年1月30日発行
評  価:☆☆☆☆(説明)

 上巻が、西ローマ帝国の滅亡後の6世紀から15世紀までの地中海世界を、イスラムの海賊の横行とそれに対するキリスト教社会の対応を描いたものだった。下巻の本書は、ビサンチン帝国(東ローマ帝国)の滅亡後の16世紀のイスラム+海賊とキリスト教社会の攻防を描く。一見すると年代が下っただけに見えるが、実は大きく対立の構図が異なっている。
 下巻では、海賊の頭目たちはトルコのスルタンによって、トルコ海軍の総司令官に任命される。キリスト教社会も、スペインやヴェネチアといった強国がそれぞれの海軍を派遣してこれに対抗する。つまり、以前は個々の海賊行為とそれに対する対応策であったものが、16世紀には強国間のパワーゲームの時代に突入したということだ。
 「強国間」と言ったが「トルコ対その他の国」という単純な構図ではない。国がプレイヤーとして登場するようになって、政治的な駆け引きが渦巻く三つ巴、四つ巴の複雑なゲームになった。こうした駆け引きを書かせれば、著者はやっぱりウマい。上巻よりもこの下巻の方がはるかに面白く読める。

 トルコと西欧社会の攻防はとても面白い、詳しい内容は読んでもらうとして、読んでいてつくづく思うのは、大国のエゴと宮仕えの哀しさだ。フランス王はスペインに対抗意識を持っているし、スペインはヴェネチアの利益につながることは徹底して避ける。たとえ、トルコの侵攻に対して西欧の連合軍として戦っている最中でもだ。ヴェネチアだって、利があればトルコと単独で講和を結ぶことだってする。
 それから、スペインやトルコの宮廷官僚が最高司令官に任命される例が結構多いのだが、彼らの絵に描いたような凡庸さが笑えない。目的地に着く前に病気や海賊の襲撃で2000人もの兵士を失っても、王からの命令がない限り作戦は続行、でも何人失ったかは知りたいので、数えるためだけに13日も全軍を停止する、といった具合。そんな不手際が重なって大敗を喫して本人はこっそり逃げ出す始末だ。
(私の職場にも役所から出向で来たコマッタさんの課長がいます。その課長が要求する資料づくりのため、現場は停滞と混乱の極みです。...失礼、これは余談でした。)

 最後にちょっと気になったこと。この16世紀には、様々な出来事が地中海世界で起きていて、著者としてはそれぞれに思い入れもあるのだけれど、本書で全部を書くことはムリ。そこで「これについては、□□を読んでもらうしかない(□□は著者の著作の名前)」という一文が挿入されるのだが、これが目ざわりなぐらいに多いように思った。

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2009年3月17日 (火)

最後のパレード

著  者:中村克
出版社:サンクチュアリ出版
出版日:2009年3月10日 初版 3月20日第3刷発行
評  価:☆☆(説明)

 発売間もないが、ベストセラーランキングにも顔を出しているし、ネット書店では軒並み品切れ状態だ。娘に頼まれて近所の書店を何軒か回ったけれどやはり売り切ればかりで、やっと手に入れた。つまりすごく売れている本だということだろう。本書は、ディズニーランドで本当にあった「いい話」を30編あまり収録したものだ。
 私は、新聞の広告で初めて本書を知った。本書の冒頭の一話「天国のお子様ランチ」がサンプルとして全文掲載されていた。生まれて間もなく亡くなった娘の1才の誕生日にディズニーランドを訪れた夫婦の感動物語だ。うん、これは確かに泣かせる。そんな感想を持ったのを覚えている。

 しかし、だ。ネットに溢れる洪水のような「感動した」「涙が止まらない」という感想は何としたものだろう。「親指の恋人」のコメントにも書いたのだけれど、「誰かが死んだら感動」というスイッチがあるんじゃないかと思う。そして、皆さんそのスイッチが入ってしまったとしか思えない。
 実際、半分以上が、上に書いたような子どもを亡くした夫婦や、重い病気や障害を持つお子さんや家族の話だ。1つ1つの話はいい話には違いないが、こんな話を十数編もまとめて読んで、たくさんの人が涙を流すのは、私は何かが病んでいるように思えてならない。

 念のため言うが、本書を読んで感動した方について批判めいたことを言いたいのではない。感動できる心は宝物だと思うし、確かにいい話ばかりなので涙が止まらなくなる人だっていて当然だと思う。ただ、私はこれでは泣けない、死や病気の話が多くてつらい、ということなのだ。
 泣かないにしても、私の胸に響いた話が1つある。それは、自信をなくしたキャスト(スタッフ)が、ゲスト(お客さん)の言葉に救われた話だ。ありがちな話で、こんなことは「夢と魔法の王国」でなくても起きるだろうし、30編あまりの中でもひと際地味だ。それでも私の胸に響いたのは、仕事に自信をなくすことは多くの人に起きることだし、私もお客さんの感謝の言葉や何気ない一言に、勇気付けられたり救われたりしたことがあるからだろう。共感は感動の大事な要素なのではないかと思う。

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追記(2009.4.29)

 本書に収録されているエピソードついて、盗用疑惑が指摘されています。既に出版社は「著作権侵害の可能性が高い」ことを認めています。「そのような本をブログで紹介して他人に推薦したままにして良いのか?」というご指摘をいただいたので、ここに追記することにしました。
 いかに美しい宝石をプレゼントされても、それが盗品だとすれば良心を持つ人は喜べないでしょう。それと同じで、収録されている物語は心打つものであっても(フィクションかもしれません)、盗用したモノかもしれないと分かれば騙された気持ちにもなるでしょう。そうなっては申し訳ないので、私は本書を「良い本ですよ」とは薦めません。

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追記(2009.5.7)

 5月1日付けの文書で、出版元のサンクチュアリ出版が、本書の店頭からの回収を発表しました。Amazaonも取り扱いを中止しました。よって、右上のリンクもリンク先ページがありませんが、表紙イメージの表示のために残してあります。

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追記(2009.8.28)

 5月7日の追記で報告したとおり、Amazonが本書取り扱いを中止し、その後、表紙イメージの表示もなくなったようですので、右上のAmazonのリンクを取り外しました。

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2009年3月12日 (木)

グローバル恐慌

著  者:浜矩子
出版社:岩波書店
出版日:2009年1月20日 第1刷発行
評  価:☆☆☆(説明)

 一昨日3月10日の日経平均株価の終値は7054.98円と、バブル崩壊後の最安値を前日に続いて更新した。この株価は、1982年10月以来じつに約26年5カ月ぶりの安値水準だという。これは、9月15日のいわゆるリーマン・ショック、米国の投資銀行のリーマン・ブラザーズの経営破たんに端を発した、世界金融危機が半年が経過しても一向に回復の兆しなく、むしろ悪化していることの現れだと言える。

 本書は、このリーマン・ショックから世界金融危機の流れを受けて、昨年の12月にエコノミストである著者が執筆し緊急出版という形で出版されたものだ。著者は現状はすでに「危機」などという生易しい状況ではなく、まさに恐慌状態だということで、タイトルを「グローバル恐慌」としたという。
 「危機」を広辞苑で引くと「大変なことになるかもしれないあやうい時や場合。危険な状態」とあるらしい。「大変なことになるかもしれない」ではなく、すでに大変なことになってしまっている、という主張だ。その通りだと思う。たかが用語ひとつの問題ではある、されど政府のどこか安穏とした対応は、「まだ大変なことにはなっていない」と思っているのかもしれないと思わせる。

 テレビニュースや新聞などを少しでも注意して見ている方は、この「恐慌」の原因の一つとして「サブプライムローン」問題があることはご存じだろう。サブプライムローンが信用力の低い個人向けの住宅ローンであり、ローン自体に問題があることも、おそらくは知っているだろう。
 しかし、この問題があるローンの焦げ付きが、なぜ世界中の経済を一気に奈落の底にたたき落としたかを説明できるだろうか?本書には、そのことが著者の明快な分析と適切な比喩によって明らかにされている。本書は「どうしてこんなことに..」という、知的な好奇心を満たしてくれる。もっともこの惨状に対して、私たちにできることはほとんどないのだけれど。

 最後に。サブプライムローンの問題の背景には、「借金で購入した不動産を担保にさらに借金」という錬金術まがいの手法がもてはやされたことがある。これは日本のバブル期と全く同じだ。つまり、日本の経験や教訓は全く生かされなかったわけだ。
 それどころか、80年前の世界恐慌で得たはずの、銀行と証券の分離という教訓も、金融万能の時代に打ち捨ててしまっている。ゴールドマン・サックスもモルガン・スタンレーも、今や商業銀行の顔をしている。「すでに大変なことになっている」というのは、「ここが終着点」という意味ではない。もう一段も二段も大変なことになる可能性は実は非常に大きい。

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2009年3月10日 (火)

ローマ亡き後の地中海世界(上)

著  者:塩野七生
出版社:新潮社
出版日:2008年12月20日発行
評  価:☆☆☆☆(説明)

 古代ローマの建国から西ローマ帝国の滅亡までの1200年間の歴史を、「ローマ人の物語」として、1992年から毎年1巻ずつ15巻を費やして描ききった著者による、地中海世界のその後の出来事だ。
 シリーズは15巻で完結ということになっているが、表紙デザインも共通性を感じるし、描かれている歴史は連続しているのだから「続編」ということで良いだろう。シリーズの後半は毎年12月に出版されたので、私の読書の年末から年初の読み物として定着していた。この習慣が1年のブランクを経て復活した感があり、大変うれしい。

 本書は「ローマ人の物語」のような年代記の形ではない。もっともこの時代は、地中海の南側からジブラルタル海峡を越えてイベリア半島まではイスラム化し、北側は大小様々な国家に分断され、東側にはビサンチン帝国があるものの領土保全に汲々としている状態。皇帝や元首を基に年代順に出来事をまとめることは難しい。
 そこで、上下巻の上巻である本書では、年代としては6世紀から15世紀までの長きに渡るが、テーマを強大な帝国が制海権を失ったあとに跋扈した「海賊」に絞って、この時代のあり様が描かれている。島国に住む我々には海は境界という意識が強いが、航海術に秀でたローマ人にとっては、地中海は内海の通行路だった、とは著者の卓見だと思うが、この時代は地中海が、国家や宗教の境界線または障壁になった時代ということになる。

 相変わらず淡々と出来事を記していくやり方は、人によっては読むのに辛いかもしれない。逆に、書いてある出来事は著者の目(主観)を通して見た脚色も加わっていて、歴史的事実とは言い難い、という批判があることも知っている。
 それでも、私は著者の目を通した歴史物語が好きだ。それは、皇帝であれ庶民であれ、悩んだり怒ったりする人間の行いに焦点を当てた歴史だからだ。事実を書くには「○○年に□□が△△した。」という方法が最適なのだろう。しかし、それでは本書で語られている、イスラムの海賊による多数のキリスト教徒の拉致や強制労働、それに対抗するキリスト教世界の動きと、無名の人々による何世紀にも渡る救出劇を、こんなに活き活きとは伝えれらなかったと思う。やはり、著者は非凡な語り手である。

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2009年1月27日 (火)

生命40億年全史

著  者:リチャード・フォーティ 訳:渡辺政隆
出版社:草思社
出版日:2003年3月10日第1刷 2003年3月26日第3刷
評  価:☆☆☆(説明)

 原題は「LIFE -An Unautorized Biography-」、訳せば「生命 その非公認の伝記」とでもなるのか(もうちょっとマシな訳があればいいのだけれど)。本書は、生命を主人公に見立てて、その生い立ちからこれまで(正確には人類の誕生まで)の40億年を、一つの物語として書いた野心的な本だ。
 ちなみに、日本では伝記というと過去の偉人の生涯を書いた、ちょっと教育色の強いものを思い浮かべるが、欧米では現役の著名人の生い立ちを、本人の了解を得ずに出版することも珍しくないらしく、それが「Unautorized Biography」。旬の話題で言うと「Barack H. Obama: The Unauthorized Biography」なんてのがある。

 読み応えのある本だった。まぁ490ページが長いか否かはそれぞれの意見があるだろうが、40億年分の歴史を思い入れを交えながら丁寧に記述した物語は、ズシリとした手応えがあった。著者は、大英自然史博物館の主席研究員、英国古生物学会の元会長で三葉虫をこよなく愛している。その著者が持てる知識と情熱を注いだ物語なのだから、読む方もしっかり構えないと受け取れない。
 本書によると、海の中で無生物を生物に転ずる生命の火がたった1度だけ火花を散らした、それが遅くとも38億年前、藻類の微細な化石が残されたのは10億年前、脊椎動物の祖先とみられる動物の化石は5億数千年前だ。その後、生命は上陸を果たし、1億9千万年前に恐竜が出現、6500万年前に絶滅...、我々ホモ・サピエンスの登場はわずか10万年前、とこのあたりは良く知られていることかもしれない。
 こういったことを概説するだけであれば、歴史の教科書や参考書に同様のものがあるかもしれない。想像するに退屈な代物だろう。本書は、中立で公正な記述を心がけながらも、著者やその他の研究者の思いや、古生物界の様子などを交えた独特の語り口が、退屈さを払しょくしている。著者が言及する範囲は広く、指輪物語やナルニア国物語、ガリヴァー旅行記からディズニー映画まである。もちろん「ジュラシックパーク」も。(登場する恐竜の多くが「ジュラ紀」ではなくその後の「白亜紀」の恐竜なんだそうだ)

 本書を読んで痛切に思うのは、生命の物語は奇跡の連続であったことだ。現生人類から遡れば進化の道は一本の道なのだけれど、その道は幾つの角を曲がるのか?「進化論」が論じる突然変異と自然選択によって、現在の多様な生物種に至るのには、幾たびの変異と選択が必要なのか?その確率を表すことは誰にもできないのだろうが、「奇跡」と言わずにはいられないほど低い確率であることは確かだと思う。
 こうして考えると「神」を持ち出さずとも、進化には何らかの目的性があると考えたくなる。より有利な形質の獲得を目指す原動力のようなものがあるのではないかと。そう考えた方がうまく説明できる。しかし著者は、そうした考え方を「目的論という名の化け物」と言って、その誘惑と戦いながら物語を綴っている。時に誘惑に負けてしまいながら。

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2008年12月19日 (金)

アフリカ 苦悩する大陸

著  者:ロバート・ゲスト 訳:伊藤真
出版社:東洋経済新報社
出版日:2008年5月15日第1刷発行
評  価:☆☆☆(説明)

 著者は、英国の経済誌「エコノミスト」の元アフリカ担当編集長。アフリカに赴任する前は、英国紙「デイリー・テレグラフ」の日本特派員。「貧しい国々はどうすれば豊かになれるのか」著者のが最も関心を寄せている問題のひとつ。大学で日本語を学び、明治維新から軍国主義を経て奇跡的な経済成長を遂げた日本にその答えを求めるために来たのだ。
 そして、著者の関心は今まさに貧困に苦悩する大陸「アフリカ」に向かったわけだ。貧困から抜け出せないでいる国々をじかに見ることで、逆にどうすれば豊かになれるのかの答えを探そうというわけだ。本書に記されているアフリカでの苦労の数々を思えば、ジャーナリスト魂の発露とは言え、よくこんな道を選択したと思う。命の危険に遭遇したことも1度や2度ではない。(自国民の保護を断固主張する)欧米諸国の国民でなければ殺されていたかもしれない。

 前半は気が滅入る内容だ。何故アフリカは貧困にあえいでいるのか、著者が見たその理由が次々と挙げられる。独裁者による破たんした国家経営と国民からの搾取、民族・部族間の憎悪、官僚・役人・警察の腐敗、エイズを始めとする疫病に対する無知・無理解、など。
 どうしてこんなことになってしまったのかは分からない。しかし、今現在の問題の核心は分かった気がする。それは国家を経営する能力を持つリーダーの不在だ。自分や親族・出身部族のためでなく国家のために働くリーダー、外国からの援助を本来の目的に使うリーダー、腐敗した官僚たちに規律を守らせるリーダーだ。
 簡単なことではない。「自分たちを優遇しない」ということは、親族・出身部族の憎悪の理由になり得るのだから。また、アフリカの有能な人材はどんどん流出してしまっている。医者の意見より政治家の判断が、エイズ治療の可否を決める国にいたいと思う知識層はそう多くないだろう。

 後半になって、少しだけ展望が見えてくる。著者の取材も以前に比べれば格段に安全になったし、情報通信技術が社会の風通しを少し良くした。南アフリカは未だに問題は多いながら、アフリカ諸国の民主化と脱貧困の先頭ランナーとして走り始めている。
 そして、著者がもっとも信頼をよせるのは、アフリカに住む庶民が豊かになりたい努力すればなれる、と思っている事実だ。それは、ビールの配送ルートの取材のために、500kmのデコボコ道を、トラックに4日間同乗した著者ならではの視点だ。そんな中で南アフリカの青年が言った言葉「南アフリカ人も一生懸命働けば、日本のように豊かになれる」これを聞いて誇らしいよりも面映ゆく感じるのは私だけではないはずだ。

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2008年12月12日 (金)

官邸崩壊

著  者:上杉隆
出版社:新潮社
出版日:2007年8月27日発行 9月30日7刷
評  価:☆☆☆☆(説明)

 副題は「安倍政権迷走の1年」。前の前の政権の、発足から終焉間際までの約1年間の顛末の記録だ。新聞やテレビなどのメディアを通しては見ることのできない、政権内部での出来事がつづられている。ニュースで見たあの場面のウラは、こういうことだったのか!という話題が満載で面白かった。

 そもそも私が1年以上前に出たこの本に興味を持ったのは、今の麻生政権に大きな疑問を持ち、「いったい何でこんなことになるんだ」と思い、政権の内部事情を書いたこの本のことを思い出したからだ。
 各社の調査で20%そこそこの支持率しかない現政権だが、大きな失策というよりは、何もしない(できない)のに自壊しているように思える。そう言えば、安倍政権も閣僚の不祥事が相次ぎ、守ることも切ることもできずに自壊した。最近の短命政権に共通するのは、無為無策による自滅だ。

 本書に話を戻すと、議員秘書からジャーナリストに転身した著者が、その経歴や人脈をフル活用して取材したと思われる出来事が、独自の解釈を加えて紹介されている。すべて実名で、エラい先生方のあれこれの振る舞いが書かれているので、永田町からの風当たりは強かったろうと思う。もちろん、先生方にも言い分があるはずだし。
 先生方の言い分を大幅に考慮に入れて、著者が加えた解釈も含めて、控え目に見て本書の半分が真実だとしよう。それでも感じるのは考えの浅さだ。自分なりに考えて一手を指すのだが、考えが足りずすぐに駒を取られてしまう、初級者の将棋のようだ。「これがいい」と思って口にするのだが、支持を得られず実現もしない、現政権の政策も同じ理由によって迷走しているのだと考えれば説明がつく。

 つまりは人材がいないのだ。幸いなことに登場する官邸スタッフや政治家に私利私欲で動く人はいない。功名にはやることはあるが、行おうとする政策は良かれと思ってやっていることだ。でも、政治は結果で評価するしかない。ねじれ国会や金融危機という逆風もあるだろうが、迷走する政権が3代も続いているのは、永田町と霞が関にもう人材がいないことを表しているのではないだろうか?
 冒頭に「面白かった」と書いたが、それは読み物としてのこと。その後には言いようのない寂しさを感じた。

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2008年12月 9日 (火)

授業改革に挑む

著  者:東海市教職員会
出版社:文芸社
出版日:2006年1月30日 初版第2刷発行
評  価:☆☆☆☆(説明)

  2004年11月に、愛知県東海市で市内18のすべての小中学校が、「授業改革に挑む」というテーマで研究発表を行った。本書はその発表をベースに教職員会がまとめた報告書だ。副題は「教師が変われば子どもが変わる 動き出した教職員」
 この発表会に先立って、東海市では約2年間にわたって授業研究(改革)が、さまざまなテーマで行われた。もちろん、こうした取り組みの前には、これだけの改革を決意させるに足る問題を抱えていた。小学校は学級崩壊、中学校は校内暴力、すべての学校ではないけれど、子ども達が落ち着いて学習できる環境ではなかった。
 冒頭にある中学の描写ではこうだ「3階からは、机やいすが投げ捨てられた。家庭課室からは包丁が持ち出され....」。この後も荒んだ学校の様子が続く。特別な学校の様子に見えるが、実は全国で同じような光景は見られるし、もっと言えば、どこの学校でもちょっとしたバランスの加減で同じことが起きうる。

 そして、東海市の小中学校の取り組みが始まった。具体的な内容は本書に譲るが、方針は明確だ。いかにして、子ども達に「分かりやすい授業」を行うか、この1点のために、徹底して授業を分析しその質を高める、ということだ。そのためには本気で議論する。そうしたことの積み重ねの成果が、授業にそして子ども達に現れるのだという。
 また、総合の時間のカリキュラムや教材作り、小中学校を通じて一貫した評価システムなど共通の課題には全市で取り組んでいる。授業を変えるには、1人1人の教師の力量を伸ばすことが不可欠だが、それを教師個人の頑張りに頼るのではなく、システムとしてバックアップすることが大切だ。
 その授業改革の結果、子ども達が落ち着いて学べる環境を取り戻すことができた。まぁ意地悪な見方をすれば、「普通」に戻ったに過ぎない。しかし、教師が変わり、授業が変わり、子ども達が変わったことは事実。その経過が本書で克明に記録されている。

 東海市が得た結論もまた明確だ。「教育改革は授業改革に尽きる」さらに、「授業改革には教師の自己改革が必要」。私は、このことを現場の教師にではなく、教育改革を謳う関係者に言いたい。最近は下火になって来たが、学校選択制、バウチャー制度といった「制度いじり」、それによる競争原理の導入こそが教育改革だ、という理屈があり、大きな声で言う人々がいた。
 この方法は、教師に競争というプレッシャーを与えて頑張らせよう、というものだ。規制緩和によって競争を起こして、経済を活性化させようという発想と同じ。結果は一例として、大規模店の出店によって廃退した地方の商店街を見れば、成功したとは言えない。
 地方の企業に、そして現場の教師に、自己改革を促す方法が競争原理以外にある。本書は極めて示唆に富む本だと思う。

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2008年11月 2日 (日)

異次元の刻印(上)(下)

著  者:グラハム・ハンコック  訳:川瀬勝
出版社:バジリコ
出版日:2008年9月21日 初版第1刷発行
評  価:☆☆☆(説明)

 ハンコック氏の著書は、人類の歴史についての主流とか定説になっている学説に、真っ向から反対するものばかりだ。それ故、著者の本は「トンデモ本」との評価を免れない。それでも、私が何冊もお付き合いしているのは、著者の主張に一片の真実がある可能性を感じるからだ。また、その主張を裏付けるための取材に見る、著者のバイタリティが敬服に値するからだ。
 その取材のあり方について、「都合の良いところだけのつまみ喰い」という批判があることはもちろん承知している。著者は記者であって、そのテーマを専門とする研究者ではないので、専門家からはイロイロと言いたいこともあるだろう。
 私自身も、これまでに展開された数多くの主張の中には、飛躍しすぎた論理展開など、ついて行けないこともあった。しかし、それでも著者の主張が全くのデタラメである、と論証するのは誰であっても難しい、とも私は思うのだ。

 さて、本書での著者の主張はおおむね次の通り。
 「先史時代の洞窟壁画に描かれた絵、アフリカやアマゾンのシャーマンが得る啓示、ヨーロッパ各地に残る妖精伝説、宗教家が受けたとされる天からの啓示、UFOに拉致されたと主張する人々が遭遇した場面、薬物の摂取によって見る幻覚、これらには多くの共通点がある。そしてこれらは、太古の昔に生物のDNAに組み込まれた暗号であるか、または、通常は脳が感知できない周波数で振動している次元に実在する現実である可能性を否定できない」。
 「先史時代、シャーマン、妖精、天からの啓示、UFO、薬物」これらのワードは、それだけで何となく胡散臭い。「トンデモ」な文脈で語られることが多く、科学者と呼ばれる人々は、道を誤りたくなければ公には口にしない類のものだろう。しかし「胡散臭い」という印象の他には、これらを完全に否定する要因がないのも事実。逆に、こういったワードについて、様々に語られている証言を一旦肯定した上で考察を進めたのが、著者の主張だ。

 同列に語ることに違和感や嫌悪感を覚える人がいるかもしれないが、著者の主張の一部は、量子物理学、宇宙物理学の分野と接近している。超ヒモ理論などで言われる多次元空間や並行世界、宇宙の大部分を占める「暗黒物質」。これらは多くの人が感覚的に理解できないし、目にすることもできない。なのに「トンデモ」とは言われない。
 先ごろノーベル賞を受賞した研究「対称性の破れ」だって、宇宙誕生のその瞬間の研究だけれど、これまでの知識の積み重ねがなければ、ビッグバンなんて考えは、完全に「トンデモ」視されているだろう。

 「胡散臭い」という心のカセを外すことさえできれば、説得力がある論理の展開だ。もし、読者がそのようなことができるのならオススメする。面白い読み物となるだろう。

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2008年10月28日 (火)

ブログがジャーナリズムを変える

著  者:湯川鶴章
出版社:NTT出版
出版日:2006年7月7日初版第1刷
評  価:☆☆☆(説明)

 著者は時事通信社の編集委員。他の誰よりもジャーナリストを体現する仕事だと言ってよいだろう。その著者が、「ジャーナリズムを変える」という本を書いた。以前には「ネットは新聞を殺すのか」という本を書き、同名のブログを運営していた。本書は、そのブログから得た知見をまとめたものだそうだ。
 そんなわけで本書は、ジャーナリストがジャーナリズムを斬る、といった趣の本。一番詳しいようでいて、一番評価が難しいのが自分のこと、自分が属するもののこと。切れ味はどうかと思ったら、これが意外と鋭かった。

 というのも、著者は、「自分たちはジャーナリストだ」と声高に言う人が嫌いらしい。新聞記者の勉強会で、報道機関のビジネスモデルの話をした時のエピソードが紹介されている。質問がビジネスモデルのことに集中したところ、「ビジネスモデルのことばかり言うな!君たちは経営者かジャーナリストか、どっちなんだ」という発言があったそうだ。
 ジャーナリストはカネ儲けの話をするな、ということなんだろうけれど、その奥には「自分たちは特別」という意識が透けて見える。そんな閉鎖的、特権的な意識がお嫌いなんだろう。こうした経験や考えが、著者をして理性的で中立的なジャーナリズム分析を可能にしているのだろう。

 そして、本題のブログとジャーナリズムの関係では、参加型ジャーナリズムとしてのブログの可能性や影響を分析している。多くの人がブログを開設し、独自の観点から意見を表明することができる。このようにアマチュアのジャーナリズムが誕生した今、プロの仕事の意義は何か?ということが書かれている。
 まぁ実際は、本書が期待したようには、日本の参加型ジャーナリズムは盛り上がっていない。けれども、本書が出版された2006年ごろには、韓国の「オーマイニュース」が台頭し、国内でも市民記者によるレポートを掲載するサイトが開設され、アマチュアジャーナリズムの将来性が論じられれていた。本書も、そうした空気の中で書かれたものだし、予言書ではない。そういった意味では、今この本を読んで、当たり外れをあれこれ言っても価値のないことだ。
 そういった意味合いもあり、この人が「今」を論じたら何を言うのかを知りたいと思う。それで、著者の近刊「次世代マーケティングプラットフォーム」にも注目している。

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2008年8月 4日 (月)

生物と無生物のあいだ

著  者:福岡伸一
出版社:講談社
出版日:2007年5月20日第1刷 2008年2月8日第14冊
評  価:☆☆☆☆(説明)

 50万部を超えるベストセラー。比較的安価で手に取りやすい新書であることを考えても、学術的なテーマであることを考えると、よくこれだけ売れたものだ、と思う。
 本書は、生物と無生命との境界線(著者はエピローグで、界面(エッジ)という用語を使っている)を、著者の専門である分子生物学の知識をベースにさぐる良書だ。生物と無生物の境界線をさぐることは、つまりは「生命とは何か」を考えることでもある。
 そして「生命とは何か」というテーマは、深遠でありながら、多くの人の興味を引く、抜群の魅力というか市場性のある「おいしいテーマ」だ。それを、本人の研究成果や、この分野のちょっと気の利いたエピソードを交えて、平易な言葉で軽く、しかしあくまで真剣に綴る。最初に「よくこれだけ売れたものだ」とは書いたけれど、読んでみて分かったが、これだけ条件が揃っているのだから、売れるべくして売れたのかもしれない。

 詳細は、本書を読んでもらうとして、ちょっとだけ中身を紹介。前半は、今や中学で教える学校もある、DNAの二重らせん構造の発見を中心とした、ノンフィクションドラマ風読み物だ。その分野に属する人々には周知のことかもしれないが、外部の人はほとんど知らない「本当はこうなんだよ」という話が次々と語られていて、とても面白い。
 後半は、いよいよ「生命とは何か」について、少しづつ少しづつ論を進めて、生命の姿を現していく。大学の生涯学習講座を聴講しているかのような分かりやすさだ(そして、基礎知識さえ持たない聴講生が飽きないような工夫も)。
 「生命とは何か」という命題に対する本書の結論には、批判や不服もあるだろうが、著者なりの結論は出ているし、私はこれで良いと思った。

 ところで、皆さんが食べ物として摂取したタンパク質に含まれる窒素は、体重が変わらないとすると、食べ物を口にした後、どうなると思いますか?このことを知りたいと思った人なら、本書を面白く読めると思う。きっと新鮮な驚きがありますよ。

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2008年7月24日 (木)

広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由

著  者:スティーブン・ウェッブ 訳:松浦俊輔
出版社:青土社
出版日:2004年7月8日第1刷発行
評  価:☆☆☆(説明)

 本書は、物理学者である著者が、「フェルミのパラドックス」と呼ばれる疑問の50通りの解を紹介し、その解に関連した学問上の話題を解説したものだ。「フェルミのパラドックス」とは、「銀河系に恒星間通信ができる地球外文明(Extra-Terrestrial Civilization:ETC)が相当数あると推定されるのに、どうしてまだこちらへ来ていないのか、せめて向こうからの声が聞こえてこないのか?みんなどこにいるんだろう?」というものだ。
 「銀河系にETC(車に載せるのじゃなくて「地球外文明」)が相当数あるって考えるのが、そもそも間違いじゃないの?」と多くの人が思うだろう。私もこの解を示せと言われれば、そう答えるだろう。

 ところが、銀河系には数千億もの恒星があり、一定の割合でそれぞれ複数の惑星を持っている。「(地球には特別なところは特にないとする)平凡原理」を適用すれば、生命にふさわしい環境は億単位で存在するはずなのだ。
 それでも先の「銀河系にETCが..間違いじゃないの?」と言うのであれば、「そのうちの知的生命が誕生する割合は..。さらに..」と考えていって、最終的に地球に対して通信を行うETCがゼロになることを示さなければ、解を示したことにはならないのだ。

 そして、このパラドックスに対して50通りもの解がある。このことにまず驚く。人類の想像力、知的探求心に、無限の可能性を感じる。もちろん、ある解を発展させて別の解を導いているものもある。また著者の判断では「これではこのパラドックスの解としては不十分」というものもあり、どの解も同じように確からしいわけではない。
 しかも、読み物としてはあまり確からしくないものの方が面白いから厄介だ。私が一番気に入ったのは、解1の「彼らはもう来ていて、ハンガリー人だと名乗っている」だ。フェルミがいたロスアラモス研究所には、(ノイマン型コンピュータで有名な)フォン・ノイマン他、人間離れした知性を持ったハンガリー人研究者が何人もいたそうだ。

 また、本書は科学知識の広く浅い読み物としても面白い。「フェルミのパラドックス」の解の紹介という形を取ってはいるが、取り上げられる話題が豊富だ。UFO、太陽系、宇宙物理学、相対性理論などは、本書のテーマから考えてありそうな話題だが、その他にもDNAや生命の誕生、進化など、ちょっと知的好奇心をくすぐる話も満載だ。
 難解な話も少なからずあり、くじけそうになるかもしれないけれど、宇宙と科学にちょっと興味がある方の話題作りに役立ちそうだ。

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2008年7月17日 (木)

大量監視社会 誰が情報を司るのか

著  者:山本節子
出版社:築地書館
出版日:2008年4月20日初版発行
評  価:☆☆☆(説明)

 「本が好き!」プロジェクトで献本いただきました。感謝。

 著者は、行政ウォッチャー、調査報道ジャーナリストとして、主に環境問題、ゴミ問題に取り組んでこられたようだ。他の書籍は読んだことがないのでわからないが、本書を読む限り、膨大な資料を読み解き、そこから1つの文脈を探り当てる手法のようだ。その手腕は並大抵のものではない。各章末に記載される参照資料の量が、著者の分析力とエネルギーを表している。

 高速道路に設置されたETCやNシステム、コンビニやスーパーなどの商業施設に留まらず街中に設置された監視カメラなどによって、我々の生活は監視されている。本来、「監視」というのは、悪を為す可能性のある者を見張ることであったはずが、「安心、安全のため」という名の下に、国民全員を監視する仕組みが出来上がってしまっている。これが、タイトルの「大量監視」の意味するところだ。

 話は、官僚と企業との癒着、いや実際には企業に主導権を取られている実態とか、米国の悪名高い盗聴システム「エシュロン」の話とか、様々に発展して行き、それぞれ読み応えがある。そして、その発展が収斂していく先にあるものは、「日本はまた戦争をするのではないか?」という重大な懸念だ。
 住基ネット、教育基本法改正、有事関連法、IT機器やGPSの利用など、一つ一つの出来事は、若干の違和感はあっても、許容範囲、もしくは好ましい変化だとさえ思えるようなものであっても、あるフィルターを通して見ることで、とんでもない方向を指し示していることが分かる、そんな感じだ。

 9.11以降、国外や入出国を見ていた米国の監視の目が、米国内に向き始めた。日本の警察組織だって、国民の安全を守る組織もあるが、国の治安や体制維持のためには、国民を監視し、場合によっては拘束する組織だってあるのだ。
 本書は、最後の章でナチスのユダヤ人虐殺の際に、いかに情報システムが有効に使われたかを示している。そういったことを考え合せると、一見バラバラに取得されているように見える、我々の生活の断片の情報が、一か所に集約される可能性があるとしたら、サブタイトルの「誰が情報を司るのか」の答えが「国家」であるとしたら...著者の重大な懸念が、起こりうる現実となって迫ってくる。

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2008年6月22日 (日)

ワーキングプア 日本を蝕む病

著  者:NHKスペシャル「ワーキングプア」取材班
出版社:ポプラ社
出版日:2007年6月11日第1刷
評  価:☆☆☆☆(説明)

 2006年の7月と12月に放送されたNHKスペシャル「ワーキングプア ~働いても働いても豊かになれない~」「ワーキングプア2 ~努力すれば抜け出せますか~」の取材を基に、数多くの事例を紹介するドキュメンタリー作品。この国を蝕む「新貧困」問題を問う議論するための絶好の事例集となっている。

 「新貧困」や「ワーキングプア」とはどういったことか?「ワーキングプア」とは、「働いても生活保護水準以下の暮らしを強いられている人たち」と、本書の中では紹介されている。「新貧困」については、明確に定義されている箇所はないようだ。しかし、海外に目を向けて、飢餓に直面するような「貧困」と区別するために「新」を冠した、ということのようだ。 
 新しい事態を表すためには、新しい言葉が必要となる。「新貧困」という言葉自体が適切なのかどうかはまだ判断できないが、「貧困」と区別したのは正解であると思う。なぜなら、報道番組やワイドショーのコメンテーターの中に、「世界の飢餓に苦しむ人に比べれば、日本はまだいい方ですよ」とか、「日本ほど格差のない社会は、世界中見渡しても数すくないんじゃないですか」という発言をする人が散見されるからである。
 意図的であるのかどうかは別にして、より程度のひどいものを持ち出すことで、問題を軽く(あるいは問題なんかないように)見せる手法だ。同じ「貧困」という言葉で括れば程度の差で比較してしまう。だから違う言葉で語った方が良いと思うのだ。確かに飢餓に直面する「貧困」に比べれば、日本の「貧困」問題はその悲惨さにおいて大したことがないのかもしれないから。

 しかし、問題は確かにそこにあって、放置しておけない状態にまで悪化している。本書はそれを分らせてくれる。政治家や官僚の皆さんには、是非目を通してもらいたい。

 「ワーキングプア」にも一括りにして言えないほど、様々なパターンがある。どんなに真剣に職探しをしても「派遣」や「日雇い」などの不安定な職しか見つからない、子育てをしながらパートを2つ掛け持ちしても月収が10数万円にしかならない女性、海外の安い労働力との競争で単価を極限まで切り詰められて、働き詰めでも手元にほとんど現金が残らない中小零細企業など。
 様々な例の中には、政策の失敗と思われるものも少なくない。労働者派遣法の改正は、企業活動にはプラスの効果があったかもしれないが、働く者の立場を危うくしたことは否めない。政府が打った「自立支援」策は、結果的に補助すべき人々をさらに窮地に陥れている。

 政策の失敗とまでは言い切れないが、衝撃を受けたのは岐阜の繊維産業の惨状だ。安い中国製品との競争で仕事が減ったり、単価が安くなったりした。このことは想像の範囲内で、もはや到る所で同じ問題が起きている。ここの問題はさらに根が深い。中国などから研修生や実習生という名目で来日した人々が7,000人もいて、同じ現場で働く労働人口の実に4割も占めるという。
 その研修生、実習生が時給200円で、日に10時間以上、月に1日あるかないかの休みで就労しているというのだ。これはもちろん違法で許されることではないのだが、競争はこの条件を含んでいて、異常な低水準の単価で行われている。法律を守る業者はいずれ退場するしかないのが現状だ。

 日本は高品質で容易にマネのできない製品で勝負、という経済界や官僚の勇ましいカケ声は一見前向きでもっともらしい。しかし、その「Made in Japan」を中国からの研修生、実習生が低賃金で作っているのでは、そのカケ声は虚ろにしか響かない。
 この研修生、実習生の制度は、日本の発展途上国に対する国際貢献を目的として制度化された。違法行為を想定した制度などないだろうが、国の政策には違いない。国の政策が国の産業と国民を窮地に追い込んでいることも事実なのだ。

ここから先は、書評ではなく、このことに関する私見を書いています。
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2008年5月21日 (水)

もう、国には頼らない。 経営力が社会を変える

著  者:渡邉美樹
出版社:日経BP社
出版日:2007年6月25日初版第1刷 7月9日第2刷
評  価:☆☆☆☆(説明)

 えみさんのブログ「Diary」で紹介されていた本。気になることがあって読んでみました。
 著者は、ご存じの方も多いと思いますが、居酒屋「和民」を運営するワタミ株式会社の社長・CEO。居酒屋の経営だけでなく、教育や病院、福祉・介護の分野でも活躍している。私は、安倍内閣の時に設置された「教育再生会議」の有識者委員としての発言で、特に注目するようになった。

 本書は、タイトルの通り、著者が学校、病院などの「公」の事業を手掛けるにあたって、国に頼らない「民」の経営手法を取り入れたことについて書かれている。いや、「公」の事業を「官」が行うことへの痛烈な批判とともに、「民」による「公」の事業の再生を訴えている。
 つまり、「官」による事業は、本当の顧客が誰かを忘れてしまって、子どもや患者や消費者のためではなく、学校や教師や病院や官僚や政治家のための事業になってしまっている、ということだ。そして、これを再生するためには、「民」による「経営」と「競争」が必要だとする。

 本書に言われていることは、すべて正論だと思う。ここで使った「正論」という言葉に「空論」だという意味合いは全くない。なぜなら、著者がこの正論でもって実際に事業を実践した事例で裏付けられているからだ。
 その意味では私は、本書を高く評価する。政治家も官僚もそして全国の経営者にも読んで欲しいと思う。

 しかし、私にはどうしても払拭できないわだかまりがある。冒頭に書いた「気になること」もでもあるんだけれど、それは著者が教育再生会議で「教育バウチャー制度」と「学校選択制」を推し進める発言をしていることなんです。

 教育(学校や先生)も競争によって切磋琢磨することでよりよいサービスが実現する。簡単に言えばそういう原理なんですが、教育に競争を持ち込むことには異論も多い。
 著者もそんなことは承知で、「すべてが競争で解決できるとは考えていない」「人口が少ない地方ではバウチャーは機能しにくいでしょう」と述べておられるし、過疎地の学校については、「当然セーフティーネットを作って守るべき」 とも言われています。
 ですから、著者自身はよ~くわかって発言されているのだとわかりました。これは、この本を読んだことの収穫の1つです。

ここから先は、書評ではなく、バウチャー制度とわが街のことについて書いています。
興味のある方はどうぞ

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2008年5月18日 (日)

ぼくには数字が風景に見える

著  者:ダニエル・タメット 訳:古屋美登里
出版社:講談社
出版日:2007年6月11日第1刷 7月10日第2刷
評  価:☆☆☆(説明)

 著者は、サヴァン症候群とアスペルガー症候群という脳の障害を持っているロンドンの生まれの30歳の男性。巻末の解説によると、サヴァン症候群の人は、記憶、計算、芸術などの領域において超人的な才能を発揮する。
 実際、著者は、円周率を22,514桁暗証することができ、驚異的なスピードで言語を習得することができ(例えば、アイスランド語を1週間で)、10ヶ国語を自在に操る。その他にも、カレンダー計算や、ある数が素数かどうかの判断などが一瞬でできる。我々の想像をはるかに超えた「天才」なのだ。

 しかし、彼のことをただ「天才」と呼ばないのは、アスペルガー症候群でもあって、対人関係を築くのが難しかったり、予想外の出来事にうまく対応できなかったりするからだ。
 さらに、彼の素晴らしい能力でさえ、大多数の我々のような「普通の人」(こういう言い方は不適切かもしれないが)とは、脳の働き方が違うという意味では「異常」なので、脳の機能障害とされるからだ。

 本書は、そういった背景を持つ著者が、自分の幼年時代から現在までを克明につづった回想録だ。もちろん、さまざまな出来事があり、苦悩することもあり、ドラマチックでさえある。しかし、正直に言って、赤の他人の自分史を読んでいるわけで、「私はいったい何のためにこの本を読もうと思ったのか?」という気分になってきた。あるところまでは。
 気分が変わるのは、彼が単身東欧の国へ10か月のボランティアに出かけるあたりから。そんなことして大丈夫なのか?しかし、著者自身が本書の中で述べるように、彼はこのことのよって、新しく生まれ変わったようになる。

 読み終わって思い返すと、本書は、ある特殊な障害を持った人間の自己革新ともいえる成長の記録だと分かる。それは、同じ障害を持つ人やその周囲の人々に勇気を与える。そして、我々「普通の人」にも勇気を与える。
 「あんな障害を持った人でさえ...」という言い方は、差別意識を含んでいるのかもしれないけれども、そんな感想が私の心を奮わせた。

 最後に1つ。彼の両親のことを。
 彼の両親は、彼を含めて9人の子どもを育てた。想像するに、とても手間のかかる子どもだったに違いないのに、他の兄弟姉妹と共に、惜しみなく愛情をかけ、さらには、彼の決断を尊重して海外へ送り出した。
 さらに特筆すべきは、彼の両親は彼の病気についての知識はなかったことだ。他の子どもとは違っているように感じられる自分の子どもを、普通の親として育てた。素晴らしい。

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2008年1月28日 (月)

人類が知っていることすべての短い歴史

著  者:ビル・ブライソン 訳:楡井浩一
出版社:日本放送出版協会
出版日:2006年3月25日第1刷
評  価:☆☆☆(説明)

 著者は、ユーモアのある旅行記を書く作家として有名だそうだ。物書きとしては一流であることの証だが、科学については門外漢。その著者が、3年の月日をかけて科学界の重鎮を含む多数の専門家を取材して、人類がこれまでに解明してきた科学の成果を語る。
 テーマは、宇宙のあり方から、45億年あまりの地球の歴史の様々な分野に渡る。相対性理論や量子力学などの物理学はもちろん、生命の誕生や進化論、小惑星の激突やプレートテクトニクス、恐竜の絶滅と人類の起源、その他の科学の様々な発見と、ほぼ文字通りの「すべて」の歴史だ。(原題は「A Short History of Nearly Everything」,ほとんどすべて と少し控え目だ。)

 これだけの内容の豊富さだから当然と言えば当然だが、600ページを超える大書だ。読見通すにはそれなりの時間と根気が必要だ。著者がいかに平易に書く努力をしてくれたとしても、テーマがテーマだけに難しい内容であることに違いないから、なおさら根気が必要になる。

 しかし、それでも本書は思いの外読める。(私も何度か睡魔に襲われながらも結局読み通した。)それは、本書が科学的事実の解説ではなく、その解明に至る経緯と、それに関わる人に焦点を当てているからだ。
 紹介される研究者の多くは、その変った言動と共に紹介される。塩素、フッ素、マンガンなどを発見したある科学者は、研究材料を何であれ舐めずにはいられない性格だった。ある極限状態の研究者は、酸素濃度が人体に与える影響を調べるために、自分はおろか家族や周辺の人々を次々に減圧室に放り込んだ。実験中に痙攣を起こした妻は、発作が治まった後、夕食の支度のために家に帰された。という話が盛りだくさんに紹介されている。

 また、科学というのは新しい発見がなかなか認められないらしい。その発見が既成の学説を否定するとなればなおさらだ。プレートテクトニクスは今でこそ主流の学説だが、広く認められるようになったのは、1960年代の後半だ。
 それまでは、大陸が移動している証拠として、遠く離れた大陸に生息する同種の動植物が次々と発見されると、科学者たちは大陸のどこにでも陸橋を懸けてこれを説明しようとしたと言う。アインシュタインも反対の立場を表明して、その誤りに気付かないまま亡くなっている。
 こうしたことを、現代から過去を見て笑ってばかりはいられない。20年ぐらい後になって、「わずか20年前には、人が猿から進化したと本気で思っていたんだ」と言われているかもしれないのだから。

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2007年11月28日 (水)

最初のヒト

著  者:アン・ギボンズ 訳:河合信和
出版社:新書館
出版日:2007年8月25日初版第1刷
評  価:☆☆☆(説明)

 「最初のヒト」化石の発掘をめぐる、化石ハンター達の仕事と成果が、詳細に、時に生々しく語られている力作。特定の分野に焦点を当てた著作によくあるように、専門家から見れば色々と異議はあるのだろう。
 しかし、専門家ではない私から見れば、理解できない専門用語の行列に悩まされることまく、「人類の祖先をめぐる数多くのことを知ることができたし、何より十分に楽しめた。専門書ではなく一般の図書として出版されている以上、専門家でない人が楽しめることが第一に大切だと思う。
  謝辞に70人にもおよぶ研究者の名前が並ぶので分かるように、膨大な取材の上に本書は成り立っている。科学誌「サイエンスの」主席ライターだからこそできたとも言えるが、これだけの深い内容を引き出した取材は、並大抵のものではない。

 正直に言えば、この本を手に取ったのは、人類の歴史についてのドラマを期待していた。いつごろ、どこで、どんな姿で、どんな生活をしていたか。多少乱暴でも、少しばかり科学の味付けがあれば、好奇心を満たす面白い読み物になるだろうから。
 だから、最初は少し面食らった。その分野では著名なのだろうけれど、門外漢は知らない名前が次々でてきて、拾った化石を見比べてどうだった、ということの繰り返し。
 しかし、人物の輪郭がおぼろげに把握できるようになると、これが実に面白い人間ドラマであることが分かる。化石ハンターたちの駆け引きや、ねたみ、アフリカの政治家を巻き込んでの確執、人類の祖先の創作ドラマより断然面白いではないか。
 それぞれの化石ハンターたちが、自分を信じて調査にすべてをかけている。顎骨の化石を見つけるのに1年や2年はザラだ。いや、見つかればよし、見つからないほうが圧倒的に多いのだろう。そんな彼らが魅力的な人々に見えてくる。

 好奇心という意味では、色々なことが本書を読んで分かった。ヒトと類人猿の境界は、「直立二足歩行」にあること。頭蓋骨の化石があれば、直立二足歩行をしていたかどうかの推定ができること。そして多くのこの分野の化石は、頭蓋骨さえそろってはなく、顎骨や中には歯だけ、というのもあること(実際歯だけでどこまで何が分かるのか、というのは本書を読んで解説を受けた後でも疑問なのだが)。ヒトの祖先は、今や700万年も遡るとされていること。今はホモ・エレクトスと言われているピテカントロプス・エレクトスは「ピテク」(猿)+「アントロプス」(ヒト)+「エレクトス」(直立した)というラテン語の造語だということ。

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2007年5月 8日 (火)

アトランティスの暗号

著  者:コリン・ウィルソン 訳:松田和也
出版社:学習研究社
出版日:2006年9月15日第1刷
評  価:☆☆(説明)

 古代文明の謎を追う、グラハム・ハンコックの著作と通底する作品。(底通するだけではなく、ハンコックその人や著作も登場する)

 著者の言わんとすることはこうだ。エジプトやマヤその他の古代文明には、現代以上の知識と技術が認められる。しかし、それらはエジプト人やマヤ人が発明、発見したものではなく、約一万年前に水没したアトランティスを通じて更に遡り、10万年前の高度に発達した文明を共通の源としたものである。その証拠はいたるところに残っている、と。

 この手の本は好き嫌いはあるだろうが、多少展開が強引でも少し信じがたい面があっても、読者の方もそういったことは織り込み済みで読むので、「可能性としてはアリかも?」と思わせてくれればOKだと思う。
 しかし、この本には別の問題がある。内容が散漫なのだ。エジプトやマヤ文明、地殻の変動、大洪水などは1つの流れの中で語ることができるだろう。しかし、麻薬物質を使ったシャーマンの幻覚や、フリーメーソン、イエスの血脈などの話まで出てくる。非常に多作な著者とのことで、自分の知っている、世間の常識から少し外れた好奇心をくすぐるような話を詰め込んだという感じで、途中から何の本なのか分からなくなってしまった。

 しかも、収められている話の多くは、○○の著作「□□」にはこうある....とか、○○の報告によると...とか、他の人の研究の引用が占める。著者には大変な侮辱かもしれないが、あまり出来のよくない学生のレポートのようだ。これでは、古代文明の研究書ではなく、古代文明の研究を調査した報告書だ。

 しかし、1つだけ、著者自身の主張とも言えるものがある。それは、超古代文明は精神文明とも言えるものだったこと。現代文明のように、電気機械や蒸気機関などの物質的な発明は行わなかったが、彼らは高度な科学を理解することができた。我々が失ってしまった「全体を認識する能力」によって。
 余談だが、本書に24桁の素数を言い当てる知的障害を持つ双子の女の子の話が出てくる。数値を1つづつ検証する方法ではこうしたことはできない。おそらく、全体を捉えて細部へ向かう方法を取っているのであろう。人類の脳にはそうした能力が内在している、と言えるのではないか。

 現代文明が、様々な発明、発見によって便利で長生きできる世の中を作ったことは確かだろうが、同時に多くの問題を抱え込んでしまった。核兵器や環境問題は、自らの生存さえ脅かしてしまっている。「全体を認識する力」によって、そうした未来が見えていたのなら「あえて発明しない」という選択肢もあったかもしれない。

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2007年2月 6日 (火)

ローマ人の物語15 ローマ世界の終焉

著  者:塩野七生
出版社:新潮社
出版日:2006年12月15日発行
評  価:☆☆☆☆(説明)

 ローマの歴史を綴る全15巻の完結。
 本巻は、ローマが東西に分裂して別の皇帝が治めるようになる395年から、476年に西ローマ帝国が滅び、その後東ローマ帝国による領土の回復のための100年間を描いて終わる。
 この後は、1453年のオスマントルコによるコンスタンティノープルの陥落まで、約1000年間も東ローマ帝国ないしビサンティン帝国は続く。しかし、塩野氏はこれを含めない形で「ローマ人の物語」とした。

 後世の歴史家の評として、帝国滅亡の70年前に亡くなったスティリコという蛮族出身の将軍を「最後のローマ人」としたのは、塩野氏の考えでもあるのだろう。ローマ人とは、ローマ市民である以上に、その姿勢(スタイル)までローマ的であるべきだ、と言うのである。
 確かに東ローマ帝国は、あまりにオリエント的であるし、カトリックの考えのためか排外的でもある。また、ローマという都市なしでのローマ帝国はあり得ない、とも言う。確かにそうであろう。地中海を内海とする歴史に類を見ない帝国であり、ローマはそのカプト・ムンディ(世界の首都)であったのだから。

 それにしても、本巻の主役たちが全員軍人であるのはどうしたことだろう。皇帝は、宮中深くでろくなことをしない存在としてしか描かれていない。
 ローマは王政、共和政、帝政を通して、有能なリーダーが支えた帝国ではなかったかと思う。最終巻の主役が全員軍人になってしまったということは、帝国末期には、皇帝がリーダーでなくなってしまっていたことを表しているのだろう。

 西ローマ帝国は、壮絶な戦いの末に滅んだのではなく、蛮族出身の将軍に皇帝が退位させられ、その後の皇帝が選ばれなかった、というだけなのだ。滅亡でなく消滅、気が付いたら無くなっていた。歴史に類を見ない大帝国の最後にしては、あまりに情けない。

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2006年3月24日 (金)

ローマ人の物語14 キリストの勝利

著  者:塩野七生
出版社:新潮社
出版日:2005年12月30日発行
評  価:☆☆☆☆(説明)

 キリスト教徒から「大帝」と呼ばれるコンスタンティヌスの死の年の337年から397年のテオドシウス帝の死までの60年間のローマの歴史。
 15巻の予定のシリーズだから残すはあと1巻。この巻の最後でローマ帝国は東西に分裂する。そして一方の西ローマ帝国が滅亡する476年まであと80年。ボロボロと崩れ落ちる音が聞こえてきそうな中身の濃い1巻だ。

 著者によれば、ローマ帝国は崩壊ではなく溶解する。少なくとも宗教的には多神教を国の宗教としていたローマ人が、キリスト教徒になってしまう。対決して負けたわけではなく、変質してしまった。このことが、サブタイトルの「キリストの勝利」につながっている。

 この巻では、皇位継承の安定から考え出された世襲制がほころびる。コンスタンティヌスの死後、葬儀の直後に親族の4人が殺され、息子3人による分割統治が行われる。しかし、それも1人死に、2人死にして、副帝になったいとこまでも処刑されるというありさま。同じぐらいの力と正統性を持った複数の者が並び立つことはでいないのだろう。血のつながりが不幸を招く。

 この巻の主役はユリアヌスだろう。生き様が劇的だ。コンスタンティヌスの死後の大粛清時には6才だった皇帝の甥は、父を殺され兄とともに幽閉される。18年後に学究生活から呼び戻され、副帝、正帝となっていく。しかもこの時代、キリスト教へとひた走るローマ帝国の流れを、ただ一人押し留めようとした皇帝だ。彼を主人公とした物語がいくつかあるそうだが、いつか読んでみたいと思った。

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2005年6月 8日 (水)

検証 松本サリン事件報道

著  者:テレビ信州
出版社:龍鳳書房
出版日:2001年3月4日発行
評  価:☆☆☆(説明)

 オウム真理教が係争中の裁判の裁判官の殺害を目的として、住宅街に猛毒のサリンを噴霧し、7人が死亡、数百人が被害を受けた「松本サリン事件」の報道を巡る顛末記。
 当初、第一通報者の河野義行さんが犯人視されていた。報道各社もこぞって、河野さんが犯人であるという前提で報じていた中で、テレビ信州は「裏付けの取れない情報は報道しない」という方針の下で、「農薬の調合ミスで毒薬を発生させてしまった」などの報道を行わなかったそうだ。同社は、この事件報道を端緒に、メディアリテラシーというものの活動を進めていくことになる。

 まぁ、他の報道と比べると、テレビ信州の姿勢は格段に良かったと言える。しかし、内実は英雄視するようなものではなく、限られたスタッフと取材能力のために、なかなか情報が得られない中で、他と同じような見切り発車をしなかった、ということらしい。
 本書は、当時の現場の様子が伝わって来て面白い読み物になっている。その一方で、現場の細かい動きが明らかになるに従って、背筋が寒くなる思いも募る。河野さん犯人説を疑うべき事実は、いくつも明らかになっていたらしい。にも関わらず、地下鉄サリン事件まで、その疑いは晴れなかった。警察は人権を軽視した取調べを行っていたようだ。ジャーナリズムは何をしていたのか、がもっと検証されるべきだと思う。ジャーナリズムが明らかにすべきは真実であり、戦うべき相手は悪と、市民に敵対する公権力だったはず。
 誰かを標的にしてたたきまくるような報道は今も続いている。報道各社は、この事件について、それぞれ反省や謝罪を口にしたが、進歩はしていないようだ。

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2005年6月 4日 (土)

複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線

著  者:マーク・ブキャナン (訳:阪本芳久)
出版社:草思社
出版日:2005年3月3日発行
評  価:☆☆☆(説明)

 世界のさまざまな複雑な事象を、ネットワークの観点から論じる「ネットワーク科学」の解説書。ネットワーク科学は、物理学、生物学、経済学などの多くの学問に通じる。例えば、物理学では従来は、物質の成り立ちを極限まで小さな構成要素に分解し、個々の要素の性質と働きを調べることで、全体を理解しうるとする「還元主義」の立場であった。こういったアプローチの仕方が科学的であるとされ、生物学でも経済学でも、こういった方法が試みられてきた。しかし、この方法では、生物の複雑な働きや社会現象などを説明し切れない。要素とその間の相互作用を理解して初めて説明することができる、というのが、ネットワーク科学である。

 本書では、さらに「スモールワールド理論」を中心に取り上げ、その例として人と人とのつながり、脳のニューロン、インターネット、生態系、河川のパターン、感染症の流行など多くのものを挙げている。スモールワールドとは、あるパターンのネットワークによって、多くの要素がつながることで、どの2つの要素も非常に少ない隔たりでつながるというもの。
 人と人とのつがなりで言えば、地球上の60億の人口は、どの2人の間も6次の隔たりしかないという。ここでは、弱いつながりが重要になる。ただの知り合い、という弱いつながりがあるから、60億もの人が6次の隔たりでつながるのだ。
 感染症も流行も、弱いつながりを経ることで、広範に広まる。そしてこのスモールワールドは全くの自然に発生する。多くのリンクがあるところに更に多くのリンクが集まるという形で形成されていく。

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2005年2月13日 (日)

ローマ人の物語13 最後の努力

著  者:塩野七生
出版社:新潮社
出版日:2004年12月25日発行
評  価:☆☆☆☆(説明)

 1200年に及ぶローマの歴史で、ディオクレティアヌス帝とコンスタンティヌス帝の3世紀後半から4世紀初めにかけての物語。コンスタンティヌス帝の死後60年で帝国は東西に分断され、その80年後には西ローマ帝国は滅亡してしまう。終焉間際だ。
 ディオクテティアヌス帝からを専制君主制と言うそうだ。ローマの歴史は、伝説時代を含めた王政の後、約500年の共和政、アウグストゥスから始まる帝政と続く。本書の前100年ぐらいは、軍人皇帝の時代と言われる。終身の位である皇帝においては、リコールとは殺されることを意味する。皇帝が殺されては軍隊が新しい皇帝を擁立する、といったことが繰り返され、混乱した時期だ。

 ディオクレティアヌスは、それに終止符を打つため、皇帝の地位と権力を高めた。人々や兵士から遠い存在にすることで、地位の保全を図った。また、帝国の統治を分担制にした。皇帝を4人にして地域分担して統治した。(この分担の地区分けで面白いのが、イタリアと北アフリカが同じ地区であること。地中海が境界線ではなく、通路として考えられていた)この政策は中々うまく機能した。ディオクレティアヌスの時代1代限りは。
 次のコンスタンティヌスは、キリスト教を公認したことで有名だ。しかし、そのことで有名なミラノ勅令は、キリスト教を国教にしたのではなく、「キリスト教の他の宗教と同じように、信じるのは自由だよ」と言ったに過ぎないらしい。統治の道具としてキリスト教を公認したのではないか、という著者の分析は的を射ていると思う。
(ダヴィンチコードにもそのようなくだりがあったように思う。)

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2004年12月24日 (金)

ネット王子とケータイ姫

著  者:香山リカ、森健
出版社:中央公論新社
出版日:2004年11月10日発行
評  価:☆☆☆☆☆(説明)

 この本の言わんとすることに全く異議が無い。私としては、ひどく常識的なことが、多くの引用を用いながら、解きほぐされている。
 中に登場するケータイがなければ暮らしていけないような「ケータイ姫」(メールにいつ何時でもすぐさま返事をしなくてはいけない。それがつながりの証だと思っている)の感性は異常だと思うが、現実に存在する。ならば、彼女を否定しても始まらない。現代のメディアと生活をテーマとして考えるなら、出発点、少なくとも前提にはしなくてはならない。
 この本が当たり前のことを書いてありながら有益だと思うのは、身の回りに非常識な見識がはびこっているからだ。「ゲーム脳」のことを、非科学的な説と言い切る意見があることを、つい最近まで知らなかった。「何だってやり続ければおかしなことになるだろう」ぐらいには、肯定の気持ちがあった。しかし、脳波の測定からα波β波の解説まで、全くデタラメなのだと言う。こんな話を基に、自治体がテレビやゲームを制限する政策決定をしてしまったら良い笑い者だ。
 しかし、あんなのはデタラメだ、と笑って済ませる問題ではない。子どもたちがネットの危険に晒されていることは、ゲーム脳とは別の次元で重要な問題なのだ。誰かが正しい方法で子どもたちにネットに対する耐性を身に付けさせなくては、悲劇は繰り返される。「危ないのはネットとカターナイフ」と言って、取り上げても意味ない。

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2004年12月20日 (月)

アホでマヌケなアメリカ白人

著  者:マイケル・ムーア (訳:松田和也)
出版社:柏書房
出版日:2002年10月15日初版 2003年3月5日第18刷
評  価:☆☆☆(説明)

 原題は「Stupid Whitemen」、バカ白人ということになるか。もちろん、著者の意図は白人全部を指すのではなく、アメリカの白人を指しているようなので、この邦題は的を射たものと言える。
 内容は、アメリカの、またはアメリカ人の可笑しなところ、モラルの無さを、これでもかとこき下ろすもの。2000年の大統領選でのブッシュ陣営のあくどい行いから始まり、根強く残る黒人差別や学生の無知、教育の荒廃。そして、軍事予算やエネルギー消費量、批准していない国際人権条約の数、強姦の件数と不名誉なナンバーワンを数多く持っていることなどを多く書き連ねる。ウソではないにしても、一方的な見方に過ぎることは確かだろう。
 しかし、「ウソではない」とすれば、アメリカという国はなんと傍若無人で病んだ国だろうと思わせるに充分だ。これで、自分たちの国が一番だと思っているなんて。Stupid Whitemen。
 と言うように、この本は暴露本なのだが、出色は出だしの2000年の大統領選の記述だ。ブッシュ陣営は、選挙を前にして、フロリダ州で民主党の支持者が多い黒人を中心に、2万人ほどの有権者から選挙権を奪っている。重犯罪者には選挙権がないからだが、実際には、犯罪者と名前が似ているからとか、誕生日が同じだからといった(それもテキサス州の犯罪者と)理由で選挙権を奪われた人も多くいたそうだ。
 それだけではない。フロリダ州知事はブッシュ大統領の実弟だし、ブッシュ当選を最初にフライング気味に報じたのは、フォックスTVのブッシュの従兄弟、票の数え直しを命じた最高裁長官も共和党の配下の人だ。フェアであることを何よりも重んじるアメリカの大統領選がこんな状態で行われたことに驚きを禁じえない。
 そして、アメリカは、そうして大統領になった人を再選してしまった。イラク戦争など、政策の実績よりも、キリスト教的価値観を共有していることに判断基準を置いて。驕慢と言わずに何と言おう。

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2004年12月 6日 (月)

イラクの中心でバカとさけぶ

著  者:橋田信介
出版社:アスコム
出版日:2004年1月20日第1版 3月1日第2刷
評  価:☆☆☆(説明)

 ベトナム戦争から「爆弾を落とされる側」から戦場を撮り続けた、戦場カメラマンのイラク戦争のルポ。著者は数ヵ月後にイラクに戻り、移動中に銃撃を受けて死亡している。
 この人が語る戦場には圧倒的な臨場感がある。そして何故か楽天感が漂う。これは多分、戦場のありのままを飾りのない文章で伝えているからなのだと思う。最後になって著者自ら踏み越えてしまったが、著者の戦争記者としての哲学は、戦場を見て「戦況」は語っても「戦争」は語らないことだそうである。「戦争」は政治的なもので、戦場を取材しても分からないからだそうだ。
 著者は、この本の中でも何度か死にそうになっている。爆風で窓が吹っ飛ぶベランダにいたこともあるし、2度も米軍の戦車に砲台を向けられている。完全な混乱の中なので、死ぬか生きるかは偶然に左右されている。
 そんな中で、ホテルは営業していて朝食もちゃんと出る。街ではお茶屋さんも居たそうだ。砲弾が飛び交う下でも、普段の生活も営まれている。アラブの民の強さなのか、人というのは元来強いものなのか。報道される情報だけでは、見落としがちなことだと思う。
 気が重くなるような話も。イラク戦争は現場の取材では米軍の圧勝だったそうだ。国連査察で身ぐるみ剥いでから米軍は来たわけで、戦いとしては実にアンフェア。さらに、バグダッドで唯一爆撃されなかったビルは「イラク石油公社」。オイルが戦争の目的だったと言われても仕方ないのではないか。

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2004年9月 8日 (水)

アダムの呪い

著  者:ブライアン・サイクス (訳:大野晶子)
出版社:ソニー・マガジンズ
出版日:2004年5月30日初版
評  価:☆☆☆(説明)

 女性にしか継承されず、遺伝子の組み換えも起こらないミトコンドリアDNAを基に、ヨーロッパの7つの母系集団を描き出した「イヴの7人の娘たち」の著者の第2弾。
 前作は、本当に鮮やかだった。研究者らしく論理的にヨーロッパの人々が、そしてアジアやアフリカの人々までが、数人の女性の子孫であることが導き出された。もっとも、遺伝学の専門家には異論はあるようだ。知人が遺伝学の先生に感想を求めたところ、「人類の起源がたった7人の女性だなんてことはあり得ない」と言われたらしい。「イヴの7人の娘たち」にはそんなことは書かれていない。読むつもりもないということなのだろうか。
 今回は著者の意図が少し分かり辛かった。男性のみに継承されるY染色体が今回のテーマ。「Y染色体でやってもいくつかの家系に分類されました」だけでは、本にならないのだろう。しかし、第2弾なのだから、読者はそれも期待したと思う。
 しかし、本書の主張は、ミトコンドリアDNAもY染色体も意思を持ち、自らのコピーを作るための戦いを繰り広げている、という、いわゆる「利己的な遺伝子」説だ。その傍証も数多く登場する。しかも、Y染色体はその戦いの敗者、このままでは、12万5千年後には男性は滅亡する。男性がいなければもちろん女性だって子孫を作ることはできない。なんという悲劇だ。(正直に言うと、そんな先まで心配しているわけでなないが)
 Y染色体は、受精の際に組み替えによる修復が行われない。だから個体の突然変異がそのまま蓄積されてしまう。重要な遺伝子が傷ついてもそのままだ。しかも、男性の生殖細胞は、数をかせぐために千回もコピーされるらしい、女性の生殖細胞は24回だ。当然突然変異が起きる可能性も高くなる。そして現代人のY染色体はひどく傷ついていいるものが多く、1940年以降、男性の精子の数は激減しているのだという。

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2004年6月 7日 (月)

神々の世界 UNDERWORLD

著  者:グラハム・ハンコック (訳:大地舜)
出版社:小学館
出版日:2002年10月20日初版
評  価:☆☆☆(説明)

 太古の失われた文明の存在を主張するハンコック氏の2002年までのレポート。
 かねてから正統派の考古学に挑戦し、考古学者の反発を買っていたが、本書冒頭では反省の弁を述べている。「正統派の分析手法を軽視しすぎた。いかにその他の状況証拠が違う事実を指していても、炭素年代法で証明されない限り、受け入れられないのだ。」と。
 本書の主要なテーマは、海に没した太古の文明だ。太古とは17000年~7000年ぐらいのことを言っていて、約5000年前からとされるエジプトやメソポタミアを、さらに5000年以上遡ることになる。
 この時期は、氷河期の氷が溶け出し、120mも海面が上昇して世界の陸地2500万平方キロ(米国と南アメリカを合わせた広さ)が海に没した時期である。海岸部分が暮らしやすいことを考えれば、この海に没した部分に人が集まって住んでいた可能性は高い。
 もう1つの論旨は、世界中に残る洪水伝説が、何らかの真実を含んでいるのではないか、ということ。一般的には、伝説を歴史資料として見る向きは少ない。しかし、驚くほど類似した伝説が多いのは何故か?さらに、伝説を基にして海底を調査し、遺跡が発見されたとしたらどうか?インドでは実際にそれらしき物が見つかっている。
 さらに、中世の地図にその頃には存在しない島が描かれていたり、あるはずの海峡がなかったりするのは何故か?それが、1万年前の地形とぴったりあっているとしたら、1万前に誰かがその地形を記録したとは考えられないか?

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2004年3月24日 (水)

天の鏡 失われた文明を求めて

著  者:グラハム・ハンコック (訳:大地舜)
出版社:翔泳社
出版日:1999年3月5日
評  価:☆☆☆(説明)

 ハンコック氏のエジプトのピラミッドとスフィンクスに関する主張をさらに拡大して、地球上の他の巨石文明(アンコールワット、アステカ、マヤ、イースター島etc.)やナスカの地上絵などとの関連を論じた書。A4変形版のオールカラー320ページにもなる大書だ。
 著者がここで論じているのは、地球上の謎の巨石文明には、残された神話が似ている(海から白人の特徴を持った神が来て、その文明を作った。etc.)こと、春分秋分、夏至冬至など日の出日の入りなどの角度と深く関わっている、といった共通点があること。さらには、それぞれの年代が数千年単位で離れていて、直接の交渉がないため、共通の源流となる遥か昔の文明の存在が推測されることなどである。
 この本を読む限りは、確かに神話は酷似しており、各々の文明に天文学的な知識が反映されているのは偶然とは思えない。故に、何か共通の源流を有するのではないかという説には説得力もあるように思える。
 しかし、歳差運動から導かれる72という数はともかく、1.5倍した108や、4分の3した54という数までが、歳差運動を表しているとして、色々な文明を結びつけようというのはどうか。途端にこじ付けっぽくなってしまう。72=8×9で2の3乗×3の2乗なんだから、やろうと思えばほとんどの数が関連付けられるじゃないか。
 しかし、地球1周分の取材力はスゴイ。なんという行動力だろう。

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2004年2月28日 (土)

惑星の暗号

著  者:グラハム・ハンコック (訳:田中真知)
出版社:翔泳社
出版日:1998年11月10日発行
評  価:☆☆☆(説明)

 「神の刻印」でアークについて、「神々の指紋」で失われた文明について、「創世の守護神」ではスフィンクスについての新説を唱えた著者。これまでは、全面的に信じるということはできなくても、面白く読むことはできたし、そうなのかもしれない、と思えた。
 けれども、この本はどうだろう。火星の表面に人面の構造物やピラミッドがあるという話から入っているのがいけないのかもしれない。マリナー9号が撮影した写真に写っているもののことで、確かにそのようなものが写っている。著者としては、NASAが言うような自然の産物ではない、と言いたいのだろう。
 しかし、そのために、どことどこの点を結ぶと19.5度の角度ができ、これは球の中で正四面体の底が接する緯度と同じで、地球上の2つのピラミッドと真南の線でできる角度と同じだとか、どことどこの点の距離は火星の直径の360分の1だとか、あれこれ説明している。これは素直に受け入れられない。それらが偶然ではない可能性は否定しないけれど、それだけは説得力がない。
 後半の天体衝突についてはまだ良かった。これは可能性も説得力もある(少なくとも私から見て)。光学的な観測では、真っ黒な彗星が接近してきた場合には発見は困難だろう。太陽の方向から近づいてきたとしたら、観測ができない。こうした彗星や小惑星の運動の可能性は排除できない。実際、過去には地球にも天体衝突があったようだし、1994年には木星に彗星が分裂して衝突することが実際に起きているのだから。

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2004年2月 1日 (日)

ローマ人の物語12 迷走する帝国

著  者:塩野七生
出版社:新潮社
出版日:2003年12月15日発行 12月20日第2刷
評  価:☆☆☆☆☆(説明)

 15巻で完結予定のローマの歴史をつづる12巻目。211年のカラカラ帝の即位から284年のカリヌス帝の謀殺までの73年間の歴史。
 タイトルの通り、ローマ帝国の迷走ぶりが描き出されている。現役の皇帝が捕らえられてしまったかと思うと、帝国の西(ガリア)と東(シリア)でそれぞれ独立運動があり、帝国は3つに分断されてしまう。その間にも北方のゲルマン民族は、絶え間なく侵入してくるといった始末。
 そして、何よりも迷走を表しているのは、この73年間の間に22人もの皇帝が即位しては消えていること。ローマの皇帝は終身であるから、全員が皇帝になってまもなく死んでいるわけだ。それも、何かをやり遂げる前に殺されることが多い。良い政治を行っていてもつまらないことで殺されてしまう。3つに分断されたローマ帝国の再統合を成し遂げたアウレリアヌスは、厳しく叱った秘書に殺されてしまう。もう少し長く皇帝を務めていれば、ローマを再興したかもしれない。歴史で「もし...」は言っても仕方のないことだけれど。
 わずか100年足らずの間に、仮にも皇帝になるような人材を次々と失っては、如何に当時の世界帝国であっても、人材の枯渇を招かずにはいられなかっただろう。

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2003年7月 9日 (水)

オンデマンド IBM eServerの奇跡

著  者:岩山知三郎
出版社:コンピュータ・エージ社
出版日:2003年1月20日初版
評  価:☆☆(説明)

 1990年代初めに、かつてはコンピュータ業界の巨人と呼ばれたIBMは、その巨体故にか、オープン化の動きをつかみ損ねて苦境に陥る。ルー・ガースナーが1993年にCEOに就任し、その後奇跡的な復活を遂げる。本書は、その復活劇と「全てのコンピュータがオープンスタンダードに向かう」という視点の下に、コンピュータ創生期からの歴史を綴ったもの。
 前半部は1960年~70年、情報技術の進展の速さを考えれば、本当に歴史になってしまった話だ。相当に退屈。ここで挫折してしまう読者も多いだろう。後半部に期待して何とか続きを読んだ。
 後半部はオープンスタンダードに向かう激動の時代の記録。この本は多分にIBM賛歌であろうから、話半分にするとしても、これだけ革新的な動きを成し遂げたIBMに対して、国内ベンダーは何か手を打ったのだろうか?
 私の知っているオープンの概念は、「デファクトスタンダード」を市場が採用することだった。しかし、IBMの成功は、「オープンスタンダード」の推進にあった。「デファクトスタンダード」が、標準争いの勝者に与えられる「事実上の標準」(単なる多数派ということもできる)なのに対し、「オープンスタンダード」は、真にベンダーやプラットフォームを越えた相互利用が可能なのである。
 キーワード:ネットワークの外部性

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2003年3月19日 (水)

ローマ人の物語11 終わりの始まり

著  者:塩野七生
出版社:新潮社
出版日:2002年12月10日
評  価:☆☆☆☆(説明)

 古代ローマの歴史1000年をつづる連作の第11作目。
 15巻で完結の予定であるし、前753年から1000年の歴史ということは、395年のローマ帝国分裂か、476年の西ローマ帝国の滅亡まで、ということだろうから、161年就位のマルクス・アウレリウス帝から211年退位のセヴェルス帝までのこの巻は、もう終盤である。
 マルクス・アウレリウス帝は、五賢帝と呼ばれるローマの最盛期を飾る皇帝たちの最後の人である。だから、タイトルが「終わりの始まり」。実に簡にして要を得たタイトルである。
 この時代から、ローマ帝国は軍事帝国化し、坂道を転がり落ちるように、崩壊への道を進むことになる。言うまでもなくローマ帝国は、ずっと以前から強大な軍事力を持ち、周辺の民族との戦争を経てその版図を広げてきた。その意味では、ずっと以前から軍事大国ではあった。しかし、リーダー達のキャリアとして、ミリタリーとシビリアンの経験がクロスするシステムによって、高度にコントロールされた軍事大国だった。それが、内乱を制したセヴェルス帝の軍事優遇策によって微妙なバランスが崩れてしまう。
 著者の情報収集力やその分析、それによる独創的な歴史観は、感想を述べる必要もないくらい素晴らしい。
 ローマ帝国の発展の素は、征服した敗者をも赦し同化するする「寛容」さにある。その滅亡の始まりは軍事帝国化による、とする著者の意見は現代にも通じると思う。「歴史は繰り返す」と言いながら、歴史に学ぶことができない人類。
 まもなく、アメリカ軍によるイラク攻撃が始まる。

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