« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

2011年5月

2011年5月29日 (日)

ニッポンの書評

著  者:豊﨑由美
出版社:光文社
出版日:2011年4月20日 初版第1刷発行
評  価:☆☆☆(説明)

 著者はプロの書評家(プロフィールには「ライター、ブックレビュアー」とある)で、「GINZA」「本の雑誌」「TV Bros」といった雑誌などで、書評を多数連載している。本書は、現在は休刊になっている光文社のPR誌「本が好き!」の、2008年~2009年の連載記事に加筆修正したもの。

 「面白い書評はあっても、正しい書評なんてない」というのが、著者の基本スタンス。本書では、「粗筋紹介」「援用」「ネタばらし」の是非、「日本と海外」「プロの書評と感想文(ブログ書評)」という比較、といった様々な観点を設けて、具体的な「書評」を一つ一つ俎上に挙げて評していく。そうすることで「面白い書評」の姿を浮かび上がらせようというわけだ。

 だから「面白い書評とは○○○である」式の「正解」を期待すると裏切られる。本書の内容を突き詰めると「私(著者)が面白いと感じる書評が「面白い書評」」ということだからだ。「粗筋と引用だけでも、立派な書評として成立する」と書いた直後に「逆もまた真」とあるし、「援用」は「両刃の剣」で、「援用の傑作」もあれば「牽強付会な援用」もある。つまり、大事なのはその「ちょうど良い加減」なのだ。

 「ちょうど良い加減」を言葉で他人に示すのは難しい。だからこそ、著者は具体的な「書評」を例として出して、「これは良い」「これは悪い」と評するという手法を取ったのだろう。「粗筋は全体の何%まで」なんて書けば、それらしいものになるけれど、それではウソになる。著者はそんなウソはつけなさそうだ。主張が行ったり来たりして定まらないのも、著者の正直さを表しているのだろう。

 その正直さは「あとがき」のこんな言葉にも表れている。「(前略)それはあくまでもトヨザキ個人の評価です。「絶対」ではありません。(中略)この本で展開している書評観や書評論自体、後年、わたしは自分自身で更新するかもしれません。」 著者が絶賛する書評を、私が少しも良く思わないとしても、それはそれでいいのだ。

 特に、ある日の新聞各紙の書評を特A~Dで評価するという荒業が痛快。(5月22日の朝日新聞に、本書「ニッポンの書評」の書評が載っていたが、あれを著者が評価するとどうなるのだろう?)「正解」ではなく、人気の書評家が考える「面白い書評」「ダメな書評」を知りたい方にはオススメ。

 この後は「ブログ書評」について書いています。ちょっと長いですが、興味がある方はどうぞ

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

続きを読む "ニッポンの書評"

 
Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップに登録 このエントリーをはてなブックマークに追加 Evernoteにクリップ

「ニッポンの書評」 固定URL | 9.その他 | コメント (7) | トラックバック (2)

2011年5月26日 (木)

食堂かたつむり

著  者:小川糸
出版社:ポプラ社
出版日:2008年1月15日 第1刷発行 4月4日 第11刷
評  価:☆☆☆(説明)

 2008年発行のベストセラー。2010年には、柴咲コウさん主演で映画化されている。その映画のDVDを紹介する、HMVサイトのページによると、本書の発行数は2010年3月現在で80万部を超えるそうだ。私が何年か前に応募した書評コンクールで課題図書になっていたことと、テレビの映画のCMが記憶に残っていて、手に取ってみた。

 主人公は倫子、25歳。プロの料理人なろうと決めて、都会で料理店で働いていた。故郷に二は15歳の春に出て以来帰っていない。唯一の肉親である母とも会っていない。しかし、手痛い失恋をした(私は、相手の行為は「犯罪」だと思うけれど)彼女は、その故郷へ、母の元へ向かう。物語はここから始まる。

 その後は、故郷へ帰った倫子が、人々の助けを得て食堂を開き、その食堂に来店するお客や街の人々との触れ合いを描く。1日に1組だけ、お客の話を聞いて出す料理を考えるという、少し変わった食堂の「食堂かたつむり」。倫子の食堂で料理を食べたお客には、不思議な効果が表れる。倫子にも、以前は嫌っていた奔放な母との関係に変化が訪れる。

 すべり出しは良かった。故郷に帰って最初の夜、倫子は食堂を開くべく、母に一生一回の覚悟を決めてお願いをする。それに応える母の一言が良かった。この一言に母の心持ちを、私は感じ取った。極度に緊張していた倫子は、それに気付けなかったようだけれど。
 この一言に著者と本書に対する期待が高まったが、惜しいことにその後はこのような唸らせる一言にも展開にも出会わなかった。エピソードがプロットを追うだけの感じがした。もう少し肉付けがあれば良かった。

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

 
Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップに登録 このエントリーをはてなブックマークに追加 Evernoteにクリップ

「食堂かたつむり」 固定URL | 2.小説 | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月21日 (土)

アーカイブズが社会を変える

著  者:松岡資明
出版社:平凡社
出版日:2011年4月15日
評  価:☆☆☆(説明)

 本書は、日本経済新聞社の編集委員を務める著者が、「公文書管理法」という法律がこの4月施行されたことを受けて書いたもの。著者は、およそ8年半前に公文書問題の重要性を知り、その後に数多くの機関、個人を取材している。「公文書管理法」は、震災後の世の中がざわつく中で、その施行はあまり注目されなかった。しかし本書を読めば、それが国の有り方にも関わる重要な法律であることが分かる。

 「公文書管理法」とは、国や独立行政法人等が作成した、公文書等の管理の仕方を定めたもの。その肝は、歴史資料として重要な公文書は、保存期間満了後に国立公文書館等に移管する、としたことだ。これによって、将来の検証に応え説明責任を果たすことができる。

 著者が冒頭に触れている「消えた年金記録」の問題を引き合いに出せば分かりやすいが、これまでは非常に杜撰な記録管理がされてきた。しかし杜撰なことだけが問題なのではない。公文書は3年、5年、10年などと保存期間が定められていて、その期間が満了すると廃棄されることになっている。つまり、キチンと管理していても、いや管理されていればいるほど、期間満了後には参照することができない。例えば、米国の記録を端緒に明らかになった、40年前の沖縄返還時の「密約」は、(文書が廃棄されていれば)日本側からは検証ができないのだ。

 それでは「公文書管理法」の施行によって、状況は一気に良くなるのかと言えば、そう楽観できるわけではないらしい。本書で著者は、法律の成立過程を追い、各所の公文書館等の事例を紹介し、その実情を明らかにすることで、「公文書管理法」後に残る課題を浮き彫りにしている。
 ひとつだけ物足りなさを感じたのは、「これからどうなるのか」という展望を、あまり読めなかったことだ。「アーカイブズが社会を変える」というタイトルに、「どう変わるのだろう?」を知りたいと思った。「公文書管理法で何が変わるか」「課題と展望」という章もあるのだけれど、私には、「これからどうなるのか」は、うまく読み取れなかった。

 この後は、ちょっと気になった点と、それに派生して思ったことを書いています。お付き合いいただける方はどうぞ

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

続きを読む "アーカイブズが社会を変える"

 
Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップに登録 このエントリーをはてなブックマークに追加 Evernoteにクリップ

「アーカイブズが社会を変える」 固定URL | 9.その他 | コメント (3) | トラックバック (0)

2011年5月19日 (木)

魔空の森 ヘックスウッド

著  者:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 訳:駒沢敏器
出版社:小学館
出版日:2004年12月1日 初版第1刷発行
評  価:☆☆☆(説明)

 ダイアナ・ウィン・ジョーンズさん1993年の作品。著者は、1970年代から現在まで作品を発表し続けているので、これまでの経歴のちょうど中間ぐらいにあたる。著者の作品では、登場人物には全く別の「真の姿」がある、というトリックがよく使われ、捻りの効いた展開と辛口のユーモアが持ち味だ。本書にもそれは言える。

 主な舞台は、ロンドンから40マイルのヘックスウッド農場。主人公はその農場近くのウッド・ストリートで、八百屋を営むステイヴリー家の娘、13歳のアン。彼女は、自分の想像の世界に、「王様」「少年」「囚人」「奴隷」と名付けた友達がいて、彼らと会話ができる。彼らはアンのことを「ガール・チャイルド」と呼ぶ。
 ある時アンは、一風変わった人々が農場へ入っていくのを、立て続けに見る。そして、誰も出てこない、まるで消えてしまったかのように。不思議に思って、農場に踏み入ったアンは、そこでモーディオンという男と出会い、彼が血から少年を生み出すのを目撃する。

 「血から人間を生み出すなんて、黒魔術の話?」と、物語の導入部で不安と期待が入り混じった。しかし、この後はここからは予想しえない展開になっていく。実は「全宇宙をレイナーという名の一族が支配している」という設定で、SFっぽい要素があるかと思えば、お城も騎士もドラゴンも魔法使いも出てくる。
 さらに、時間軸がどうも歪んでいるようなのだ。例えば、モーディオンが生み出した少年は、すぐに10歳ぐらいに成長したかと思えば、また幼くなったり、今度はアンより大きくなったりする。前に起きた出来事の原因が後になってから起きたりもする。

 正直に言って手に負えないと思うぐらい複雑に、ストーリーが交錯している。全く目が回りそうだった。とは言え、時間軸の歪みも、アンの想像の世界の友達にも、物語における重要な意味がある。複雑さに降参してしまわずに、何とかついていけば、本書の楽しみは倍増する。

 にほんブログ村「ファンタジー」ブログコミュニティへ
 (ファンタジー小説についてのブログ記事が集まっています。)

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

 
Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップに登録 このエントリーをはてなブックマークに追加 Evernoteにクリップ

「魔空の森 ヘックスウッド」 固定URL | 1.ファンタジー, 14.ダイアナ・ウィン・ジョーンズ | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月14日 (土)

ねこのばば

著  者:畠中恵
出版社:新潮社
出版日:2006年12月1日発行 2008年11月30日 第29刷
評  価:☆☆☆(説明)

 「しゃばけ」「ぬしさまへ」に続く「しゃばけ」シリーズの第3作。今回も「ぬしさまへ」と同じく短編集。表題作の「ねこのばば」を含めて5つの短編が収められている。

 1つだけ挙げるとすると、最後に収録された「たまやたまや」が良かった。主人公の一太郎が、幼馴染のお春ちゃんの婚約者の調査に乗り出す。病弱で寝込みがちな一太郎が、走ったあげく、事件に巻き込まれて絶体絶命のピンチに陥る。珍しくサスペンス調なのだ。

 裏表紙に書いてある「若だんなと妖怪たちの不思議な人情推理帖」という言葉が、このシリーズを端的に表している。特に、物語全体に流れる雰囲気が、最後の「人情推理帖」という言葉に表れる。本書収録の5編とも、江戸庶民のひたむきさと切なさを感じる人情物語だった。

 実はどの物語にも根っからの「悪人」は登場しない。ほとんどの物語で殺人事件が起きて、もちろん犯人もいる。しかし、犯人は「悪人」だから人を殺めたわけではない。その境遇や人間的な弱さ故に人に手を掛けてしまう。だから、事件が解決しても、安堵と共に切なさが残る。喝采を挙げることもない。ハッピーエンドなのかどうか微妙だ。(「たまやたまや」は、私としてはハッピーエンドだと思う)

 病弱でも明るさを失わない主人公の一太郎と、妖怪たちのユーモラスなやり取りが、物語の切なさとのバランスを取っている。

 にほんブログ村「しゃばけ」ブログコミュニティへ
 (「しゃばけ」についてのブログ記事が集まっています。)

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

 
Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップに登録 このエントリーをはてなブックマークに追加 Evernoteにクリップ

「ねこのばば」 固定URL | 1.ファンタジー, 1B.畠中恵 | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年5月12日 (木)

<不安な時代>の精神病理

著  者:香山リカ
出版社:講談社
出版日:2011年4月20日
評  価:☆☆☆(説明)

 著者は、テレビ出演も多いが、書籍や雑誌、新聞などの紙媒体でも度々お目にかかる。それらを読んで、私は「その通りだ」と思うことが多い。「なるほどそうか」という「気付き」もある。「ネット王子とケータイ姫」「しがみつかない生き方」を読んだ時もそうだった。

 本書の帯に多くのメッセージが踊る。「私を、日本をあきらめないために」「混迷する社会をどう生きるか」「精神科医からの緊急提言」「支え合う心、守るべき命、未曾有の出来事を乗り越えるためにできること」。「あとがき」によると、本書は昨年から執筆を始めて、途中で一時凍結の時期があって、震災によって再びの凍結を経て、出版に至ったそうだ。帯のメッセージは、「震災後」を意識して発信されたものなのだろう。

 前半は、日本の「国家、社会全体が「うつ病」にかかっている」という見立てを出発点として、経済、若者、親世代、高齢者の問題を順に論じる。デフレだから「うつ」になり、「うつ」だからデフレを起こす。原因と結果がグルグル回ってしまって、出口が見えない。しかも、若者、親世代、高齢者のそれぞが構造的な「不安」を抱えている。タイトルの「<不安な時代>の精神病理」は、こうしたことを言い表している。

 個人の「うつ病」の治療には「まず仕事を2ヶ月休んで..」という休養が欠かせない。しかし、あれだけの災厄を被っても、直接の被災地域以外は、企業も学校も休みにならず、週明けにはいつも通り株式市場が開いた。つまり「休めない」。この震災で著者は、底知れぬ力と共に、言い知れぬ恐ろしさを感じたそうだ。
 被災地の人々の「さぁ復興だ」という力強い声を聞けば、私たちは励まされるし、マスコミも前向きに伝え、世界からは賛辞が届く。それも、著者の目には、危ういものに見えるのかもしれない。

 後半は、「人の営み」の例としての精神医学の世界と、市場主義経済との相互関連を論じる。これはこれで見逃せないすごい事が書いてある。しかし、前半とのつながりや帯のメッセージとの関連が分かりにくく、出発点を忘れ、着地点を見失いそうになった。

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

 
Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップに登録 このエントリーをはてなブックマークに追加 Evernoteにクリップ

「<不安な時代>の精神病理」 固定URL | 7.オピニオン, 71.香山リカ | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年5月 7日 (土)

となり町戦争

著  者:三崎亜記
出版社:集英社
出版日:2005年1月10日 第1刷発行
評  価:☆☆☆(説明)

 著者のデビュー作で、2004年の第17回小説すばる新人賞を受賞。私は、本書の2年後に発表された「失われた町」を読んで、そのレビューで「私には、すごく面白かった」と書いた。それに「「私には」とわざわざ付けたのは、これはダメな人には徹底的にダメだろう、と思ったからだ」と続けた。

 舞台は、舞坂町という人口1万5千人余りの地方の町と、その「となり町」。主人公は北原修路。一人暮らしの独身男性。となり町を挟んで舞坂町の反対側にある、地方都市の会社に勤めている。物語は、ある日届いた「広報まいさか」の記事から始まる。その記事の題は「となり町との戦争のお知らせ」。
 この「戦争」は、何かの比喩でもなければ、悪趣味なネーミングの行事でもない。実際に戦死者が出る戦闘行為を行う「戦争」なのだ。しかし、この「戦争」は、舞坂町と「となり町」で行う、財政健全化や活性化を目的とした「共同事業」だという。北原修路は、町の「となり町戦争」担当の香西瑞希と共に、となり町の偵察任務につく。

 「町の事業として「戦争」をする」とは、突飛な設定だ。しかし、「辞令交付式」に始まって、「業務分担表」やら「地元説明会」やら「文書起案」やらの、「お役所」を誇張するエピソードが繰り返されると、違った見方もできそうだ。つまり「お役所」なんて、地域活性化とかの「大義名分」と、稟議の決裁という「体裁」が整えば、どんなに突飛なことでもやってしまいそうだ、と。ちなみに著者は本書の執筆時には市役所職員だった。

 冒頭に紹介した「失われた町」も「町が消滅する」という突飛な設定だった。「ダメな人には徹底的にダメだろう」と思った理由はそれで、物語を受け入れるためには、その突飛な設定を受け入れなければならないからだ。そのためには「何か」が必要なのだ。「失われた町」ではその「何か」は、町の消滅に立ち向かう人々の生き方だった。私はそこに感銘を受けた。本書には、その「何か」を感じられなかった。

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

 
Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップに登録 このエントリーをはてなブックマークに追加 Evernoteにクリップ

「となり町戦争」 固定URL | 3.ミステリー, 35.三崎亜記 | コメント (5) | トラックバック (1)

2011年5月 5日 (木)

ストラヴァガンザ 星の都

著  者:メアリ・ホフマン 訳:乾侑美子
出版社:小学館
出版日:2005年8月1日 初版第1刷発行 
評  価:☆☆☆☆(説明)

 「仮面の都」に続く、「ストラヴァガンザ」三部作の2作目。前作のレビューにも書いたが、時空を越えて別の世界に旅することを「ストラヴァガント」と言う。前作では、21世紀のロンドンに住む15歳の少年のルシアンが、16世紀のヴェネツィアに似た都市、ベレッツァに「ストラヴァガント」してきた。今回は同じく21世紀のロンドンから、15歳の少女のジョージアが「ストラヴァガント」してくる。

 ジョージアがやって来たのは、ルシアンが来たベレッツァと同じ時代の別の都市のレモーラ。レモーラとベレッツァは同じタリアという国内にある。そして、レモーラは前作でベレッツァの支配を目論んで、ルシアンらと激しく対立していた、キミチー家が支配している。
 ジョージアは、ロンドンでの生活に問題を抱えていた。義兄からの執拗ないじめを受けていたのだ。そのジョージアの楽しみは、2週間に1度の乗馬のレッスン。彼女は馬が好きなのだ。そして、レモーラは「星競馬」と呼ばれる年に1度の競馬を中心に人々が暮らす街。彼女がこの街に来たのは偶然ではない。彼女はこの街に来て果たすべき役割がある。

 本書には、キミチー家の家系図が付いている。それは、その登場人物がやたらと多いからだと思う。前作からの流れもあり、一見すると主人公のジョージアに敵対する一族ながら、準主役級の人物も何人かいる。一般的に言って、敵役の描写は平面的になりがちだと思う。しかし本書は、章や節ごとに描く人物を変えて、キミチー家の人々にもページを割き、くっきりした人物像を浮かび上がらせている。それが、前作以上に物語に厚みを与えているし、おそらくは次作「花の都」への導入にもなっているのだろう。

 にほんブログ村「ファンタジー」ブログコミュニティへ
 (ファンタジー小説についてのブログ記事が集まっています。)

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

 
Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップに登録 このエントリーをはてなブックマークに追加 Evernoteにクリップ

「ストラヴァガンザ 星の都」 固定URL | 1.ファンタジー, 1Z.その他ファンタジー | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年5月 1日 (日)

裏庭

著  者:梨木香歩
出版社:新潮社
出版日:2001年1月1日 発行 2010年9月30日 第28刷
評  価:☆☆☆(説明)

 著者は、「家守綺譚」「からくりからくさ」などの作品で、ゆっくりと不思議な時間が流れる物語で私を捕らえた。「西の魔女が死んだ」では、美しい自然の中の暮らしとともに、女性の凛とした生き方を描いた。本作は、1995年に「児童文学ファンタジー大賞」の第1回の大賞受賞作。

 物語を簡単に紹介する。主人公の13歳の少女、照美はレストランの経営で忙しい両親からの愛を、あまり感じられないでいた。ある日、かつて英国人の別荘で今は荒れ放題の洋館の裏庭に、照美は入り込む。「裏庭」とは、その洋館の持ち主だったバーンズ家の秘密、この世とは別の世界のことだった。そこでは、照美はある役割を担っていて、それを成し遂げないことには元の世界に帰ってこられない..。

 想像していたものより、ズシリと重い手応えの物語だった。私自身が書いた上の紹介や「児童文学ファンタジー」という語感からは、「少女の溌剌とした冒険ストーリー」を思い浮かべるかもしれない。しかし本書は、照美の内面を深く深く潜行し、彼女は、少女が向き合うにはあまりに辛いものに向き合う経験をする。いや、いい歳をした私でもあんなことに向き合う勇気はない。

 「ファンタジー」という分類について。ジョージ・マクドナルドの「リリス」のレビューにも書いたが、英語の「Fantasy」に「幻想文学」という言葉を充てることがある。私の感じ方では「ファンタジー」と「幻想文学」では語感がかなり違う。そして本書は「幻想文学」の方だ。
 見返してみると著者の作品「f植物園の巣穴」のレビューで、私は同じようなことを書いている。心の奥へ奥へと進むことも、本書と同じだ。著者は心の内奥を描く「幻想文学」の書き手だったのだ。

 人気ブログランキング「本・読書」ページへ
 にほんブログ村「書評・レビュー」ページへ
 (たくさんの感想や書評のブログ記事が集まっています。)

 
Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップに登録 このエントリーをはてなブックマークに追加 Evernoteにクリップ

「裏庭」 固定URL | 1.ファンタジー, 2.小説, 25.梨木香歩 | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »