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2010年5月 7日 (金)

戦国武将ゆかりめぐり旅 政宗公と幸村公

著  者:プロジェ・ド・ランディ
出版社:双葉社
出版日:2010年4月11日 第1刷発行
評  価:☆☆☆(説明)

 「本が好き!」プロジェクトで献本いただきました。感謝。

 本書を何と紹介すれば良いのか、帯には「武将視点の旅行案内」と書いてあるので、旅行ガイドブックなのだろう。旅行ガイドブックに求めるものを「旅行に必要な情報が過不足なく、分かりやすく掲載されていること」とすると、本書はあまり良い本ではない。観光情報としては、施設の連絡先や交通など最低限の情報が小さい字で記されているだけ、イラスト風の地図には縮尺さえない。

 であるにも関わらず、私は本書を最後まで飽きることなく読み通した。実は本書の大半は物語なのだ。真田幸村と伊達政宗という、二人の戦国武将の華麗にして力強い人生という「物語」を語っている。そしてその物語の舞台となる名跡をごくあっさりと紹介する。その場に立ってみたいと思わずにはいられない。「行ってみたいと思わせること」を旅行ガイドブックに求めるとすると、本書の評価は格段に上がる。(良い本だと思うので、なおさら字の大きさやレイアウトにもう少し工夫が欲しかった。)

 私は真田のファンで、紹介されている物語はよく知っているし、場所も幾つかは行ったことがある(飽きることなく読み通したのには、そういう理由もある)。それでも、いやだからこそ行っていない場所には無性に行ってみたくなった。さらに、伊達政宗とカップリングした著者の慧眼に脱帽する。おそらくは本書の肝だろうと思うのであえて説明しないが、歴史ブーム、歴女ブームの火付け役となったゲーム「戦国BASARA」の人気武将トップ2を揃えただけではないことは確か。このカップリングにも「物語」がある。

 今日5月7日は真田幸村の命日。幸村は1615年の今日、大坂夏の陣で徳川家康の本陣に迫る奮戦を見せたが、志叶わず討ち死にしている。その日にこの本を読んだことに何かの縁を感じる。

 この後は、書評ではなく、真田幸村について語っています。すごく長いですがお付き合いいただける方はどうぞ

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 最初に断り書きを。真田幸村は、本当は「信繁」という名で、文書に「幸村」の名が現れるのは死後50年以上経ってからです。しかし「幸村」の名の方がポピュラーで、あちこちの文書や碑にも「幸村」と記されているので、ここでは「幸村」で通しています。

 すでに多くの小説やドラマになっているので、ご存じの方も多いと思いますが、幸村の人生はとてもドラマチックなのです。江戸期以降に講談などで様々に脚色されていますが、「史実であろう」と思われることだけでも十分なドラマです。(だからこそ講談などにもなったんだとも言えます)

 まず、幸村は幼いころは上杉や豊臣に人質として送られます。まぁこれは戦国の世の習いでしょう。その豊臣に送られる直前の1585年に、父の昌幸は上田城に押し寄せた7千の徳川軍を、わずか2千の兵で撃退します。その後一旦は徳川に臣従するのですが、1600年の関ヶ原の戦いの際には、中山道を関ヶ原へ向かう秀忠率いる徳川軍3万8千の大軍を2千5百の兵で再び撃退。秀忠はここで足止めをくって、関ヶ原に遅参するという大失態を犯してしまいます。

 このように、徳川の大軍に2度も城を攻められて2度とも撃退した軍略は、それだけでも見ごたえがありますが、2度目の合戦にはさらにドラマがあります。実はこれに先立って、昌幸と幸村は豊臣へ、兄の信幸は徳川へと、真田家は敢えて敵味方に分かれる選択をしています。幸村と信幸それぞれの婚姻など、それまでの経緯もあるのですが、真田家の血筋を残すための英断とも奇策とも言えます。つまり2度目の合戦の際には信幸は徳川軍に従軍しており、親子・兄弟が敵味方に分かれて戦っているのです。

 関ヶ原の戦いは東軍つまり徳川の勝利に終わりましたので、豊臣についた昌幸・幸村には極刑が命じられるところ、兄の信幸や、信幸の妻で家康の養女の小松姫らの必死の助命によって、紀州への配流となります。配流先の高野山と九度山での謹慎生活は実に14年に及び、その間に昌幸は亡くなっています。
 信幸は配流の後も父と弟に援助をしています。敵味方に分かれても親子の絆を断ったわけではないのですね。それから、小松姫にもドラマ映えするエピソードがあるのですが、これは別の機会にします。

 14年後には何があったかと言うと「大坂冬の陣」です。豊臣からの懇請を受けた幸村は息子大介他の手勢を連れて九度山を脱出し大坂城に入城。城の外濠の外に真田丸という陣地を築き、見事な戦術によって徳川軍を散々に打ち負かします。真田丸の場所とは少し違うようですが、今でも大阪城の南に「真田山」という地名があります。

 冬の陣の後、幸村は徳川から勧誘工作を受けますが頑ななまでに、豊臣を守る道を選びます。そしてクライマックスは「大坂夏の陣」。濠を埋められて裸の城になった大阪城では籠城戦はできないと、今の天王寺あたりまで下って徳川軍に対峙して陣を張ります。そして圧倒的な劣勢の中、決死の突撃で家康の本陣に迫り、家康は到底逃れられないと一時は自死を覚悟したと伝えられています。この奮闘は、薩藩旧記に「真田日本一の兵(つわもの)」と記されています。しかし徐々に押し返され、幸村は壮絶な戦いの末に命を落とします。

 しかし、それでもドラマはまだ終わっていないのです。この戦いの際に幸村は息子の大介に、陣を離れて秀頼の元に行かせています。その後大介は秀頼と淀君とともに自死してしまい、これで幸村の血筋は絶えたかと思われたのですが...幸村の深謀遠慮は常人のそれでは図ることのできないものでした。..ただ、それは「本書の肝」に関わるのでここでは言いません。

 長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。

 
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コメント

こんばんは。

自分の知らない本が紹介されてると
興味を持ちますね。
楽しませていただきました。

またお邪魔させていただきます!

投稿: 書籍の感想とレビュー■まあ | 2010年5月 7日 (金) 21時32分

まあさん、コメントありがとうございました。

もし、まあさんが読んだ本などが見つかりましたら、
古い記事の本でもかまいませんので、感想などを
教えていただけるとうれしいです。
 

投稿: YO-SHI | 2010年5月 8日 (土) 10時52分

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