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2009年9月

2009年9月30日 (水)

四畳半神話大系

著  者:森見登美彦
出版社:大田出版
出版日:2005年1月12日第1刷 
評  価:☆☆☆(説明)

 本書は2005年の書き下ろし作品だが、その前後にも連なる、モリミー作品の王道とも言える「腐れ大学生」モノ。京都という同じ場所(それも下鴨辺りから東山というごく限られた地域)、腐れ大学生という同じ個性の主人公で、こんなに幾つものアホらしくてオモチロイ物語が書けるのは驚きだ。
 いやちょっと待て。出来事の幾つかは使いまわしだし、主人公ばかりか登場する女子学生まで個性が似ている。これは、もしかしたらマンネリに陥っているのでは?という疑問がフツフツと湧いてくる。

 主人公は大学の3回生。これまでの大学生活の2年間を思い返すと、実益のあることは何一つしていない。では何をしていたのかというと、人の恋路を邪魔していた、というどうしようもないヤツ。しかし、そんな彼も大学に入りたての頃はそんなではなかった。数多くのサークルの勧誘からどこを選ぼうかと悩み、「薔薇色のキャンパスライフ」を夢見ていたのだ。
 マンネリに話を戻す。マンネリが「同じようなことの繰り返し」を表すとすれば、四話からなる本書はマンネリそのものだ。なぜなら、ここには主人公が大学3回生のときの物語が繰り返し現れるからだ。しかし、それぞれの物語は、お互いに少しねじれたように違っている。言い換えると、腐れ大学生のアホな暮らしを何度も楽しめる、という趣向になっているわけだ。

 そして、著者はある仕掛けを最終話に施してある。SFやファンタジーにはよくある設定なのだが、著者の手になると、こんなにも体臭が臭ってきそうな話になるかと思う。いやいやこれでこそモリミーなのだ。マンネリだろうがなんだろうが、オモチロければ良いのだ。

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2009年9月27日 (日)

ぼくとルークの一週間と一日

著  者:ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 訳:大友香奈子
出版社:東京創元社
出版日:2008年8月25日 初版
評  価:☆☆☆☆(説明)

 ジョーンズの初期の作品。オフィシャルファンサイトによると、児童書としては3作目、「うちの一階には鬼がいる!」の次に出版されたものだ。表紙裏に「現代英国児童文学の女王の初期傑作登場。」とあるが、確かにこれは傑作だ。
 ジョーンズ作品は一定の需要が見込めるのだろう。邦訳されていない作品を求めて、ここのところ過去へ遡る傾向が続いている。まだこんな面白い作品が残されているのだから、出版社が邦訳作品獲得に熱心になるのも分かる。

 両親を亡くした主人公デイヴィッドは、大おじのプライス家に引き取られ、普段は寄宿学校に行っている。休暇になると、プライス家に戻らないといけないのだが、それがいやでたまらない。大おじをはじめ、その家の人々が家政婦まで含めて邪険に扱われているのだ。
 そんな境遇を打ち破り、プライス家の人々にひと泡吹かせようと、デイヴィッドがやったことは、デタラメに考え付いた呪いの言葉を高らかに唱えること。なんとも幼稚な思い付きだが、これが本当に効果があったのか、地面が揺れてレンガの塀が崩れる。と、そこに現れたのがルークという名の少年だ。二人はすぐに意気投合し、デイヴィッドが必要とすればルークが駆けつけるという仲になる。

 そして二人は、「降りかかるトラブルを協力して乗り越え」「大人たちをアッと言わせて」「面白可笑しく暮らして..」という展開は児童文学的にはありだが、ジョーンズに限って言えばあり得ない。どうもルークは普通の少年ではないらしい。言動がちょっと常識からズレているし、誰かに追われているらしい。事件の背景には少年の手には負えない大きな出来事があって...

 ジョーンズが描く家族や親戚は一クセも二クセもある。今回の大おじたちも例外ではない。でも訳者あとがきにもあるように、「人は見かけどおりではない」というのが、ジョーンズ作品のメッセージ。今回も悪人だと思っていた人がそうでなかったりで、テンポの良い物語の展開とともに楽しめる。

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2009年9月25日 (金)

沼地のある森を抜けて

著  者:梨木香歩
出版社:新潮社
出版日:2005年8月30日発行 2005年11月5日4刷
評  価:☆☆☆(説明)

 今まで読んだ著者の作品は、時間の流れがゆったりしているというか、私たちとは違う時間と空間というか、とにかく穏やかな感じのする物語だった。現実感が少し薄れた感じと言っても良い。それらに比べると、本書はなぜか心が休まらない居心地の悪さを感じた。
 それは本書が現代の都会を主な舞台としている現実感のせいではない。物語の不思議さ加減で言えば、飛びぬけて不思議な物語なのだ。(「家守綺譚」は妖怪の類が次々に登場する不思議な物語だけれど、100年以上前の日本には居たのではないかと思わせる)何てったって「ぬか床」がうめくのだ。そこから人が出てくるのだ。

 主人公の久美は化学メーカーの研究室で働く独身女性。両親を交通事故で亡くし、兄弟はいない。ある時、二人いる叔母の一人が亡くなり「ぬか床」を受け継いだ。もう一人の叔母の話によると、曾祖父母が故郷の島を出るときにただ一つ持って出てきたもの。その後、代々の女たちが世話をしてきたらしい。
 これがうめくし、人まで出てくる「ぬか床」だ。叔母からは「あなたが引き継ぐしかない」と、家の宿命だと言われたけれど迷惑千万だ。案の定、このぬか床に生活を翻弄されることになる。しかし、これも叔母の言だが久美には「素質がある」らしく、研究者としての知識も助けになって、この不思議をよく理解しようとし始める。

 私が、心が休まらないと感じたのは、ぬか床から人が現れる異様さもあるが、それよりも久美が背負った厄介ごとが憂鬱なものだったせいだ。しかし、久美はしっかりと考えて行動を開始した。物語後半は、久美のルーツに関わるちょっとスケールの大きなドラマに展開する。ちゃんと人の体温が感じられる物語にもなっているところはさすがだ。
 それから、久美の物語に挟み込まれるように、「島」の中で分裂を繰り返す「僕」の物語が綴られる。現実とは思えない暗喩に満ちた物語。まるで村上春樹さんの短編のようだ。この部分は、意欲的な実験作品なのかもしれない。

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2009年9月21日 (月)

恋文の技術

著  者:森見登美彦
出版社:ポプラ社
出版日:2009年3月6日初版
評  価:☆☆☆(説明)

 10ヶ月ぶりのモリミー。今回は全編が手紙、というなかなか凝った趣向だ。実在のものとフィクションを合わせて、往復書簡の形で一連の出来事を綴ったものは数多く出版されているが、本書は、往復している手紙のやり取りの一方だけで綴っていく。返信の分は読者が想像するしかない。

 主人公は守田一郎、京都の大学の修士課程1年生。研究室の教授の命で、大学院に進んだ4月にクラゲの研究のために、能登半島に抱かれた七尾湾に面した「能登鹿島臨海実験所」に派遣された。いやハッキリ言えば飛ばされたのだ。
 家族や友人知己からも住み慣れた街からも隔絶された彼が、そこで始めたことは「文通武者修行」。文通によって文才を磨き、どんな美女でも手紙一本で籠絡する技術を身に着けるという野望だ。(あぁアホらしい)

 こんなわけで、守田が研究室の友人や先輩、家庭教師をしていた小学生、そして偏屈作家の森見登美彦氏!らに対して、半年あまりの間に出した手紙の数々が本書の大部分。友人の恋の相談に乗ったり、小学生の悩みに付き合ったり、作家に恋文の奥義を請うたりと、武者修行だけあって書きも書いたりその数は100通を超える。
 まぁしかし、その内容のクダラナイこと、その行いのナサケナイこと。著者の作品に度々登場する「腐れ大学生」が極まった感じだ。そんなヤツの書いた手紙だから、文章だってグダグダだ。ところが、このサイテーのグダグダな文章が、なぜか面白い(モリミー風に言うと「オモチロイ」)。特に中盤の大塚女史との対決には、片方の手紙だけでここまで描けるかと目を瞠った。

 「こんなの何が良いの?」という人もいるだろう。好き嫌いはあると思う。最初に読む森見作品が本書ではちょっとキツいかもしれない。著者の他の「腐れ大学生」モノがお気に召した方にはオススメ。

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2009年9月17日 (木)

COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)

 R+(レビュープラス)様にて献本いただきました。感謝。

 本誌は分類で言えば「ニュース・総合誌」ということになるのだろう。しかし、他の雑誌のどれとも違うように感じる。本誌は、フランスの週刊誌「クーリエ・アンテルナショナル」と提携した月刊誌だ。ちなみに「クーリエ」とは、元々は在外公館と本国、または在外公館の間での運搬業務。転じて小口の国際宅配便のことを言う。

 そして、本誌は世界中を飛び交う荷物と同じように、国境を越えて発せられる世界の1500を越えるメディアのニュースの中から記事を選び、あるものは翻訳・編集し、あるものは日本で独自の解説も付けて紹介することで、世界から見た「日本」と、世界の「今」を描き出している。こんな雑誌は他にない。
 例えば、私が読んだ2009年10月号では、アメリカ、イギリス、フランス、スペイン、オーストラリア、韓国、中国、ロシア、インドネシア、ミャンマー、タイ....挙げていけばキリがないのではないかと思うほどたくさんの国のメディアが発したニュースが紹介されている。

 また、この号では3つの特集が組まれている。1つ目は「世界が見た”日本のCHANGE”」。日本の政権交代を世界がどう見たかだ。2つ目は「いま、なぜ「アフリカ」なのか」。こちらは勝間和代氏の責任編集。3つ目は「雑誌が「消える」日」。「活字メディアの未来」と題したシリーズの3弾目らしい。
 特集以外も含めて、どれも刺激的な記事だ。「世界が日本をどう見たか」は多くの人が気になるところだ。しかし本誌はその深さにおいて優れてはいるけれども、この切り口は他誌でもテレビや新聞でも散見される。他ではあまり見かけないのは、外国メディアによる自国の調査報道や、日本以外の他国の報道だ。世界はますます同時的かつ多面的になっている。様々な視点で「世界を知る」ことの重要性が増してきている。

 とは言うものの、1つの疑問が頭をかすめる。重要性が増しているとは言え、海の向こうのことには違いない。この雑誌がどのくらいのボリュームの読者に支持されるのだろう、という疑問だ。素人ながら雑誌は発行部数が大事で、そのためにはできるだけ多くの人に読んでもらえる誌面づくりが必要なのだろうと思う。
 この疑問への答えは意外にも本誌の中にあった。「雑誌が「消える」日」という特集の「「エコノミスト」はなぜ売れる?」という記事中に「大衆向けの雑誌では勝負にならない。皮肉なことに、ときには限られた読者を狙ったほうが、世界を制する最善策となるのだ。」とある。キーワードは「ボリューム」ではなく、「アイデンティティ」と「品質」。本誌が目指すところもこれなのだろう。
 そうそう、編集長がこの特集「雑誌が「消える」日」について、「まったく他人事ではありません(笑)」と書かれている。あまりに生々しくて、それを緩和するために(笑)をつけたのだと思う。ホントは笑ってる余裕なんかないのだろう。

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「COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)」 固定URL | 8.雑誌 | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年9月12日 (土)

潰れない生き方

著  者:高橋克徳
出版社:KKベストセラーズ
出版日:2009年9月20日 初版第1刷発行
評  価:☆☆☆(説明)

KKベストセラーズ様より献本いただきました。感謝。

 ベストセラー「不機嫌な職場 」の共著者による、自分を潰してしまわない生き方の指南書。「不機嫌な職場」は1年前の情報で25万部を突破とあるから、今は30万部になろうとしているのかもしれない。もちろん書名は知っているけれど、残念ながらまだ読んでいない。

 本書のメッセージの主な宛先は、職場で「潰れてしまいそうになっている」人たち、「追い込まれている、追い込まれそうだ」と感じている人たち、「不機嫌な職場」の中で「自分から良い感情を配る」と書かれているそうだが、自分自身にそんな感情がないと思っている人たちだ。
 そういった人たちに対して、本書の一番のメッセージは「あきらめないこと」。そして、小さなことでも喜んだり自分を褒めたりすることから始めよう、ということ。「今日も朝起きられた」でもいいのだ。そして少しずつ前に進むためのステップも書かれている。

 読み進めていて「これは微妙なバランスの上に立つ本だなぁ」と思った。幸いにして、私は身動きできないほどにまで追い込まれたことはない(もちろん会社員としてイロイロありましたが)が、「潰れてしまいそう」な人は非常にデリケートな心理にあることは想像できる。励ましの言葉が傷つけてしまうことだってあり得る。
 そして、本書が発する前向きなメッセージに、重荷を感じる人がいるのではないかと心配になったのだ。本書で救われる人もいれば、追い詰められる人もいるかもしれない。まさに「微妙なバランス」なのだ。
 このことは、著者も充分に意識されているようで、何か所かに書かれた「もうダメだという時には、精神的・物理的に距離を置く、つまり「逃げる」ことです」という、緊急避難路が用意されている。

 さらにこの心配は、本書を最後まで読めばかなり解消される。心の問題はメッセージをの送り手と受け手の間の信頼が大事だ。本書に対する著者の姿勢が書かれた「あとがき」を読めば、本書には著者の心からのメッセージが込められていることがわかり、信頼感も生まれるに違いない。本書の途中で心が折れてしまうようなことがあってはいけない。何よりも先に「あとがき」をまず読んでほしい。

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「潰れない生き方」 固定URL | 7.オピニオン | コメント (4) | トラックバック (1)

2009年9月 8日 (火)

かっこちゃんI

画  作:池田奈都子
出版社:インフィニティ
出版日:2009年7月26日第1刷発行
評  価:☆☆☆☆(説明)

 株式会社インフィニティ・志経営研究所様から献本いただきました。感謝。

 以前にも「テラ・ルネッサンスI」というコミックをいただいた。これらは「「心を育てる」感動コミック」というシリーズで、企業の「人財育成」として、思いやりと優しさ・感謝の心を育んでもらうことを目的としたもの。金融機関やメーカー、人材派遣会社などが社員研修用に購入しているそうだ。
 最初のエピソードで泣いてしまった。私は簡単には泣かないのだけれど、ポロポロと涙がこぼれた。タイトルの「かっこちゃん」とは、石川県の養護学校(特別支援学校)の山元加津子先生のこと。本書には「かっこちゃん」が体験した、子どもたちとの間の話、おもしろイイ話など5つのエピソードが紹介されている。
 主人公として登場する子どもたちは、手足が不自由であったり難病に侵されていたりと、ハンディキャップがある子どもたちだ。その点では、盗作疑惑で回収という結果になった「最後のパレード」の中のエピソードのいくつかと同じなのだけれど、あちらでは泣けない。盗作云々が問題なのではない、ではどこが違うのか?

 「最後のパレード」のエピソードは「ディズニーランドが何をしたか」につきる。なくしたサイン帳の代わりにキャラクター全員のサインを用意する、パレードのダンサーが手を取りに来る、余命半年と告知された子どもを一生懸命励ます。どれも感動的ないい話だけれど、その主役はディズニーランドのキャストの方、ひねくれた見方をすれば、これは営業用の感動だ。
 それに対して本書の感動の主役は、子どもたちとその家族、つまり生の感動だ。よくよく見ると、「かっこちゃん」は何か特別なことをしているわけではない。子どもたちの話に耳を傾け、悲しいときや苦しい時に寄り添い一緒に悩み、時には子どもたちに勇気付けられる。壁を破るのは、子どもたち自身の力と家族の愛だ。「みんなみんなそのままが素敵。」という言葉はいささかありきたりだが、本書の最後に目にするとキラキラして見える。

 もちろん、特別なことはしていない、と言っても「かっこちゃん」は特別だ。特別ではない普通のことが、実は誰にでもできるわけではない。それから「かっこちゃん」は、この子どもたちの大切さや素敵さを、世界中の人に知ってもらうという特別な使命のために本を書き、講演する。それは、ある少女との約束でもある。本書もその使命の一端を担うのだろう。私もたくさんの方に読んでももらえるようオススメする。かっこちゃんと少女の約束のために。
 最後に、読むときは一人でいる時に。誰かが近くにいると、無意識にでも感情を抑えてしまうので泣けませんから

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「かっこちゃんI」 固定URL | 5.ノンフィクション, 52.感動コミック | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年9月 6日 (日)

トロイアの黒い船団 サトクリフ・オリジナル4

著  者:ローズマリ・サトクリフ  訳:山本史郎
出版社:原書房
出版日:2001年10月10日 第1刷
評  価:☆☆☆(説明)

 著者は、歴史小説・ファンタジー小説家。オリジナル作品を多く手がけ、「ともしびをかかげて」でカーネギー賞を受賞するなど評価も高いが、私が注目しているのは、著者が伝説や神話の再話を試みた作品。以前に読んだ、アーサー王物語3部作は名作だと思う。
 そして、本書はホメロスの叙事詩「イーリアス」が描くトロイア戦争の物語の再話だ。「イーリアス」の名前は知っていても、少々敷居が高く、手に取って読んだ人は少ないのではないかと想像する。それが著者の手にかかれば、新たな息吹が吹き込まれ、活き活きとしたファンタジーに変身する。

 ギリシア神話がベースなので、華々しい神々が登場人物の一角を占める。ゼウスにアポロンにポセイドン、アテナにアフロディテら女神。それから、アキレウスやオデュッセウスら英雄が縦横に活躍する。まさに神話の時代の人間界に神々が介入した大決戦なのだ。
 戦の発端は、トロイアの王子パリスがスパルタの王メネラオスから、絶世の美女と言われる妻のヘレネを奪ったこと。大決戦の原因としてはいささか俗っぽいが、王子と王の間のいざこざだから、すぐに国同士の問題になった。
 さらにメネラオスの兄アガメムノンが、ギリシア各地の王に君臨する大王であったことから、2国間の争いは、地中海世界を二分する大戦争に発展。これに、それぞれの思惑によってゼウスやアテナら神々がどちらかに肩入れして、どちらかが滅びるまで収集がつかない大決戦となってしまった。

 戦いはこの後10年に及ぶが、物語は10年目に入った辺りから詳述される。それは「イーリアス」がそうであるからだ。訳者あとがきによれば、戦いに至る経過と、戦いの結末は「イーリアス」には含まれていないそうだ。さらに、個々の戦いのエピソードも、時間的な整合性なく記述されている。それらを著者が他の文献などから補って、発端から終結まである完成された物語にしたということなのだ。
 一進一退を繰り返す戦争にはイライラさせられるが、伝説を楽しむという意味では充分に堪能できた。トロイア戦争と聞いて「トロイの木馬」しか思い浮かばない人は(私もそうだった)、こんなに様々な出来事や英雄の物語の一部であったことに驚くだろう。ところで、アキレウスの弱点だから「アキレス腱」という名前がついたのだけれど、どうしてそこが弱点になったのか知ってます?(答えは本書の中に)

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「トロイアの黒い船団 サトクリフ・オリジナル4」 固定URL | 1.ファンタジー, 15.サトクリフ | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年9月 5日 (土)

再び、読書感想文の宿題について

アクセス推移グラフ   7月25日に「読書感想文の宿題に思うこと」という記事を書きましたが、その後日談というか、ちょっと面白いことに気付いたので、もう一度この話題を取り上げます。右のグラフを見ていただくと、「読書感想文」という検索語によってアクセスしていただいた件数の推移が分かります。
 見れば一目瞭然ですが敢えて説明すると、夏休み前には1ケタ台であった「読書感想文」という検索語でのアクセスは、7月25日の記事以降も8月の初旬は20~30程度でしたが、中旬過ぎあたりから上下に振れながらも一気に3ケタ台まで急増しています。
 20日に156、24日に最高の168、31日に165と3回のピークを迎えて、9月1日には一気に36に激減します。分かりやすいですね(笑)。自分が子どものころを思い 出して微笑ましくさえあります。でも31日にネットで検索していて、間に合ったんでしょうかね。

 アクセスをさらに分析すると、「○○○(書名) 読書感想文」と書名とセット、またこの後に「パクリ」が付いている検索が多かったです。「パクリ」を付けて検索してきた人のほとんどと、付いていない人の一部分の方が7月25日の記事にアクセスされています。
 パクリをしようと思ったかどうかはともかく、多くの方は読書感想文の宿題の参考にしようと思って検索されたに違いありません。それで、辿りついた先の記事が「パクリは論外ですが、ネットで他人の感想を読んでから感想文を書くのもどうなんでしょう?」なんて記事だったのだから、悪い冗談でしかないですね。失礼してしまったと思います。

 最後に。最近は検索エンジンで検索すると「他のキーワード候補」が表示されますね。過去の検索実績を基にしているのでしょうが、「読書感想文」で検索すると「パクリ」とか「コピペ」がついた候補が出るのですが、これはいいんでしょうか?
 機械的にやっているだけで他意がないのは分かりますが、結果的に不正行為に誘導してしまっていることには違いありません。以前、硫化水素による自殺に必要な商品一式が、AMAZONのレコメンド機能によって「この商品を買った人は..」に表示されて批判を浴びたことがありますが、意図しない悪い結果を招くという意味では同じだと思います。それに機械的な処理に依存していると、ある程度まとまった数の行為は、さらに同じ行為を誘発して雪だるま式に膨れ上がってしまう。気にしすぎでしょうか?

 
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「再び、読書感想文の宿題について」 固定URL | | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年9月 4日 (金)

死神の精度

著  者:伊坂幸太郎
出版社:文藝春秋
出版日:2008年2月10日 第1刷 3月5日 第3刷
評  価:☆☆☆(説明)

 伊坂幸太郎作品。2003年から2005年にかけて発表された表題作を含む連作短編が6編収録されている。今回の主人公は「死神」。取り憑かれれば死期が近いという、なんとも不吉な主人公なのだが、著者の手にかかれば「こんなヤツならいてもイイかな?」なんて思ってしまう。

 主人公の死神の名前は千葉。そう死神にも名前があるのだ。仕事をする時の仮の名前なのだが、なぜかみんな市や町の地名になっている。仕事?そう死神にも仕事がある。仕事だけじゃない、監査部とか情報部とかの部署があって、分担して人の死に関する仕事をしている。
 そして千葉は調査部の一員だ。調査部の仕事は、情報部が選抜した人間を調査して、「死」を実行するのが適当かどうかを判断して、結果を監査部に報告することだ。判断はそれぞれの裁量に任されているし、よほどのことが無い限り「可」の報告をすることになっている。やっぱり、彼らが近くに現れたら死を覚悟した方がいいらしい。
 だから彼ら調査部の死神は「死の前触れ」ではあるけれど「死の原因」ではないのだから怨んだって仕方ない。とは言え「こんなヤツなら~」とはとても思えないところだが、なんかイイのだ。千葉には悪意が全くない(「助けてあげよう」とかいう優しい気持ちもないけれど)ところがイイのかも。頼まれたことは、やってあげてしまうところかもしれない。

 伊坂作品の魅力は、シャレたセリフと登場人物にあるが、本書も同じ。千葉が、仕事をする時には必ず雨が降ると言うと、調査対象の女性が「雨男なんですね」と答える。千葉がそれに返した言葉は..。彼の素朴な疑問の数々には思わずニヤリ。登場人物でいうと、最終話の美容院のおばあちゃんがイイ。年をとると何でも見通せるようになるらしい。伊坂ファンへのサービスエピソードもある。

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「死神の精度」 固定URL | 3.ミステリー, 31.伊坂幸太郎 | コメント (7) | トラックバック (1)

2009年9月 2日 (水)

「スカイ・クロラ」シリーズの謎解きに挑戦(3/3)

 これまで、いくつかの謎について私の考察を紹介してきましたが、最終回の今回は「スカイ・クロラ」についてです。少し長くなってしまいましたが、お付き合いください。

 「スカイ・クロラ」は「スカイ・イクリプス」を除いた本編5冊の時系列的には最後、出版順では最初の作品です。読む順番について著者の森さんは、 「MORI LOG ACADEMY」で「どこから読んでも良いが、もし5冊を全部読む自信がある人は、第1巻のナ・バ・テアから読むことをすすめる。それが一番誤解がないだろう。もし5冊も読む自信はない、とりあえず1冊、という人には、最終巻のスカイ・クロラを」と書かれています。
 また、「ダ・ヴィンチ」のインタビュー記事には、「「スカイ・クロラ」を最初に書いたことに他意はないんです。これ一作でもう続編は書けないだろうと思っていたから、観念して最後の部分から書いてしまった」とあります。

 このように「スカイ・クロラ」1冊だけになる可能性を、森さんが考えておられたのであれば、「スカイ・クロラ」1冊の中にも、作品世界を見渡すためのヒント、真相に近づくためのヒントが込められているはずです。
 そこで「スカイ・クロラ」を、特に細かい点まで注意して読むことにしました。すると、ヒントという意味では、各エピソードの扉のページにあるサリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」からの引用が目を引きます。このような引用は「無くても良いもの」なので、それがあるということは「何か意味がある」はずです。そう思って読むと「ナイン・ストーリーズ」と「スカイ・クロラ」には、その主題に親和性が見えます。

 「ナイン・ストーリーズ」は、サリンジャーの自薦短篇集で、9つの短編を通じて直接・間接に描かれているのは、グラース家の7人兄弟です。彼らは「これは神童」(It's a Wise Child)というラジオ番組に次々と出演する、いわゆる天才児たちです。しかし、「ナイン・ストーリーズ」で描かれる成長した彼らの多くは、どこかバランスを欠いた不安定な人間になっています。兄弟の精神的支柱であった長兄シーモアは拳銃で自殺してしまいます。
 「スカイ・クロラ」のカンナミは、自分を指して「特別な子供(325)」と言い、他のキルドレたちにも似た形容がされ、そして大人にならない。グラース兄弟も神童と呼ばれ、そしてうまく大人になれなかった。この2つの物語に共通するのは、フワフワして捉えどころの無い雰囲気だけではなく、描かれているテーマも共通しているのです。森さんは、この引用によって「大人にならない永遠の子ども」の表現を補強したかったのではないでしょうか?

 それから、引用されている6編の短編や引用箇所にも意味がありそうです。例えばプロローグの扉の「テディ」の引用箇所にある「死んだら身体から跳び出せばいい~」は「キルドレの再生」を暗示しているように思えます。「人間の再生」は著者が否定されているので、これはミスリードを狙ったものなのでしょう。
 第1話の扉の「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」の引用部分は、その物語の中でも前後のつながりがよく分からない部分なのですが、「ハツカネズミ」と「観覧車」という言葉があり、これが回し車の中を駆けるネズミ、「前進しない永遠の回転」を想起させます。
 第2話~4話の扉の引用は、引用部分の前後までを含めると、「仮面」「シャロンをきみだと思うことにしたのさ」という言葉があったり、母親が海軍中将になりすましたりします。うがった見方かもしれませんが、「誰かが実はその誰かではない」というトリックが、この物語の中に潜んでいることのヒントかもしれません。
 そして、その考えは第5話の扉の引用「エズミに捧ぐ」ではっきりした輪郭を見せます。「私は依然として登場するけれど(中略)どんなに慧眼な読者でも私の正体を見抜くことはできないだろう。」 これは、カンナミが実はカンナミではない、またはクサナギが実はクサナギではない、という暗示と捉えて問題ないと思います。
 さらに、「エズミに捧ぐ」は、「本当の眠気を覚える人間は(中略)無傷のままの人間に戻る可能性を必ず持っているからね。」という一文で終わっています。これは、「スカイ・イクリプス」で描かれたクサナギの回復物語を感じさせます。森さんは、「ナイン・ストーリーズ」を読み返した読者が、こうしたことに感付く可能性を(かなり低い可能性かもしれませんが)考え、こんなヒントを仕掛けたのではないでしょうか?

 では、続いて、他の5冊との関連性における「スカイ・クロラ」の考察と、いよいよ最後の謎についてです。

 このシリーズは、謎の深さというか混迷度が読む順番で違うように感じました。私は、最初は「スカイ・クロラ」から始まる出版順、2度目以降は「ナ・バ・テア」からの時系列順で読みました。そうすると、時系列順、つまり森さんが「一番誤解がない」とされる「ナ・バ・テア」から読む方が悩まないのです。少なくとも「クレィドゥ~」までは、特に何の疑問もないと言っていいぐらいです。

 「スカイ・クロラ」を最初に読むと、ミツヤの「貴方はクリタさんの生まれ替わり(クロラ302)」のセリフに代表される、クローン技術めいた人間の再生のことが頭に残ります。すると「フラッタ~」でクリタが登場すると「この栗田がカンナミになるのか?」なんて、もしかしたらしなくていい想像をしてしまいます。「クレィドゥ~」では、「死んだクリタにクサナギの技術を移殖してカンナミに..」なんて考えてしまったり。ミズキのこともそうです。「スカイ・クロラ(156)」でトキノの言葉を聞いていなければ、特に妹か娘かなんて悩むこともなかったでしょう。

 とは言え、「ナ・バ・テア」から読んでも「クレィドゥ~」では主人公が誰か分からずに立ち往生し、「スカイ・クロラ」でさらに?が増えるということには変わりがないでしょう。「ナ・バ・テア」を最初にしてこれまで組み立てた私の考察でも、「クレィドゥ~」までは何とか破たんを免れたつもりですが、「スカイ・クロラ」には多くの矛盾が残ってしまいます。どうも全体から浮き上がってしまった感じで、説明がつかないことが多いのです。


謎7 スカイ・クロラが抱える矛盾

 最大の矛盾は時間です。それまでの物語との整合性がありません。時系列をみると、クリタについて言うササクラの「死んだのは一週間くらいまえ(78)」、クサナギの「ここに来たのは、七か月前(89)」という言葉が、「クレィドゥ~」とかみ合いません。「クレィドゥ~」の終わりの時点で非武装地帯での戦闘から半年、仮にエピローグを除いたとしてもサガラが病院を訪れたのが1ヶ月前、クサナギがクリタを撃ったのはその前のはずなので、どうしても説明がつきません。
 「クレィドゥ~」と「スカイ・クロラ」の順番を入れ替えたり、重ねたりという手もありますが、「スカイ・クロラ」が「時間軸上では最後」ということは、「ダ・ヴィンチ」のインタビュー記事でも明らかにされていて、「スカイ・クロラ」が最後ではないという可能性は排除しなくてはなりません。

 次は、「スカイ・クロラ」のクサナギは誰なのか?ということです。「クレィドゥ~(310)」でソマナカは「あれは、別人だ」と言っています。それを受ければ、偽クサナギということになりますが、この偽クサナギには「クレィドゥ~」以前のクサナギの記憶があります。これでは「記憶移殖」はない、という森さんの言葉に反してしまいます。キルドレには、他人の話と自分の記憶を混濁させてしまうという症状がありますが、選択的にクサナギの記憶を混濁させるというのは、都合が良すぎるように思います。
 しかしクサナギが偽クサナギではなく、カンナミは「クレィドゥ」のエピローグから続いてクサナギが持つ別人格だとすると、「スカイ・クロラ」ではクサナギもカンナミもクサナギ、一人二役ということになってしまい、2人がササクラやトキノや他の人の前で会話していることの説明ができません。(レストランの店員などを含めて、その他全員が2人いるふりをしているのでなければ)

 また、性別の問題も出てきます。 トキノと同室であることや、トキノが娼館へ案内したこと(65)や、そこの女に「よろしくね、ボーイ」と言われたこと(68)、シャワーから上半身裸で部屋に戻っていること(143)。カンナミが男性であること示唆する記述はまだ他にもあります。すると、女性のクサナギの別人格という考えと相入れません。
 このような矛盾が問題となるわけですが、実は、偽クサナギの問題と性別の問題は、それぞれに説明をつける方法がないわけではありません。記憶移殖などしなくても記憶を学習することは可能だし、性転換手術を受けたという説明も可能です。しかし最大の矛盾である時間の整合性の問題は残ります。そして、時間の整合性の問題を含めて、全てを説明する仮説が少なくとも1つあります。

 それは、「「スカイ・クロラ」はクサナギの別人格であるカンナミの頭の中の出来事、つまり妄想なのだ」という仮説です。妄想の中の話なので、時間が合わなくても、一人二役でも、上半身裸でウロウロしたってどうということもありません。クサナギの記憶を持っていることも説明ができますし、別人格のカンナミが別の記憶を持っていることも不思議ではありません。色々と悩んだ末に「夢オチ」みたいな話で恐縮ですが、それを裏付ける要素がいくつかあります。

 その1つは、森さんがこのシリーズのもとにしたという、デヴィッド・リンチ監督の映画「ロスト・ハイウェイ」です。前回、「途中で主人公が入れ替り、片方はもう片方が作り出した別人格」ということを書きました。さらに言うと、この映画は最初から最後まで全編が、刑務所の中にいる主人公の妄想という解釈ができるのです。
 もちろん、「スカイ・クロラ」シリーズよりも難解とも言えるリンチ監督の映画ですから、この解釈が正しいとは言い切れませんが、「解釈ができる」というより、私が観た限りでは「他の解釈では説明できません」でした。(「スカイ・クロラ」の謎解きのために、リンチ作品の謎にまでブチ当たってしまって、本当に消耗しました。)

 2つ目は、「スカイ・アッシュ」でクサナギが見た夢(イクリプス230)です。この夢でクサナギは自分が撃った人々を思い出しますが、その最後の1人のところで「あれは、僕だ」と「スカイ・クロラ」のカンナミがクサナギを撃つ場面を思い出します。「あれは、僕だ」ですから、本人による告白とも言えます。
 それから、これは直接的な裏付け要素とはなりませんが、多重人格の中のある人格が「死ぬ」「殺される」という考えは、多重人格者を扱ったノンフィクション「24人のビリー・ミリガン」「ビリー・ミリガンと23の棺」の中にも見られます。「~棺」の方はタイトルからして分裂した人格の「死」を暗示しています。

 3つ目は、エピローグです。それまでとは違って一歩退いた視点で自分のこと、クサナギとのことを振り返っています。一歩退いた視点なので、最初の「夢の中で、僕はただ戦った。」という言葉の「夢」とは、「今見ている夢」という意味ではなく、それまでの話、つまり「スカイ・クロラ」全編のことを指して「夢」と言っているのではないでしょうか。
 冒頭に書いたように、「スカイ・クロラ」1冊の中にもヒントが込められているとすると、最後のシーンに分かりやすいヒントを持ってくるのは極めて自然です。「夢オチ」の物語で最後にガバッとベッドから起き上がるシーンのようなもの、だと考えることができます。ちなみに「ロスト・ハイウェイ」の最後のシーンも、主人公の別人格への変身を暗示する、一種のタネ明かしでした。

 このように「ロスト・ハイウェイ」をもとにした、ということを素直に受け取れば、「スカイ・クロラ」全編が妄想で、先立つ4冊はそこに至る物語と捉えて問題ないと思います。以上、Q.E.D. (ふぅ~、疲れた)

-----追記-----

 この考察に至る前に、同じように「スカイ・クロラ」シリーズの謎を追われた多くの方のブログを拝見しました。その時感じたのは、同じ目的に向かっているのだから協力できないものか、ということでした。メールやコメントで?とも考えましたが、読む時期も違うのでリアルタイムに協力するのは難しそうでした。

 そこで、私が考察に使ったメモを提供することにしました。そうすれば、次の人は私の作業の続きから始められます。幸い、アウトラインプロセッサーソフトを使っていましたので、テキストファイルに出力できました。今後、「スカイ・クロラ」シリーズの謎に挑もうとされる方がいらっしゃったら、遠慮なくダウンロードして使ってください。
 ここを右クリックして「対象をファイルに保存」 (コピー・転載・改変は自由/著作権は放棄していません)

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(2010.7.28 追記)
sugiさんから、コメント欄にご指摘をいただき、新たな考察を加えたのでここに追記します。

 「スカイ・クロラが抱える矛盾」に挙げた「性別の問題」が、「クレイドゥ~」のエピローグにもあることが分かりました。エピローグ2ページ目で、ベッドの上段で寝ている奴のことを「彼」と表現していることから、主人公が男性と同室であることが推察されます。
 これは「クレイドゥ~」エピローグのカンナミが、女性のクサナギの別人格だとする考えと相入れません。それ以前の物語の考察(「妊娠して非キルドレ化した」など)から、この主人公が男性の誰かであるという考えも排除すると、残る有力な可能性は、「「クレイドゥ~」エピローグから既に、クサナギ=カンナミの妄想」というものです。

 「都合の悪いものは全部「妄想」かよ、ずいぶん都合のいい考察だな」という声が聞こえてきそうで怖いですが、それは上に書いた「それを裏付ける要素」の3つと、ここに至る長い道のりに免じてご勘弁いただきたいと思います。

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「「スカイ・クロラ」シリーズの謎解きに挑戦(3/3)」 固定URL | 33.森博嗣 | コメント (16) | トラックバック (1)

2009年9月 1日 (火)

「スカイ・クロラ」シリーズの謎解きに挑戦(2/3)

 前回、「スカイ・クロラ」シリーズ6編の時系列のまとめを紹介しました。今回はいくつかの謎について私の考察を紹介します。考察に当たって「スカイ・イクリプス」のいくつかの作品は三人称で書かれているので、これらの作品に書かれていることは事実として考えています。また、著者の森博嗣さんの次の言葉を、謎解きの前提としています。

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森さんのブログ「MORI LOG ACADEMY」(※)から

Q 『スカイ・イクリプス』を読んでも、まだ読み解けない読者のために何か少しヒントをいただけないでしょうか。
A 無理に読み解かない方が良いと思います。ヒントとしては、以下のとおり。

  • シリーズ5作では、主人公(一人称)はそれぞれ1名。
  • クローン(特に短時間で人間を再生する)や記憶移植といった非科学的なものはこの世界にはない。
  • 「スカイ・クロラ」から読むから難しく感じるかもしれない。たとえば、草薙瑞季は、水素の娘だと思っている人が多いですが、土岐野がそう言っただけです。このように、何を信じるべきか、ということが重要だと思います。

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雑誌「ダ・ヴィンチ」2008年8月号の森さんのインタビュー記事から

このシリーズのもとになっているのはデヴィッド・リンチ監督の「ロスト・ハイウェイ」なんですよ。

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それでは、1つずつ私の考察を...( )の数字はページ数。

謎1:「クレィドゥ・ザ・スカイ」の「僕」はだれか?

 これは、クサナギスイトだと思います。その理由の1つは、サガラやカイの「僕」に対する態度です。
 例えば、サガラは病院に「僕」を訪ねて、電話番号を渡し注射をします(85)。後になってその注射はキルドレに戻すものであることが分かります(291)。「キルドレに戻る」ことができるのはクサナギしかいません。その他「子供のときを、思い出さない?(122)」や、「今、名前を言ったわ(240)」などのセリフも、それを暗示します。
 カイのセリフ「私は、君が生きていてうれしい(296)」「散香に乗れることを約束する(286)」なども、相手がクサナギだと考えれば自然です。なお、前半でフーコと逃げる場面が、「僕」が女性のクサナギでは不自然な感は否めませんが、「スカイ・アッシュ」でフーコが再会を喜ぶ相手が女性であることを考え合わせれば、受け入れられるかと思います。「主人公はそれぞれ1名」という森さんの言葉もあり、「クレィドゥ・ザ・スカイ」の「僕」は、全編を通してクサナギスイトだと思います。

謎2:では、「クレィドゥ・ザ・スカイ」のエピローグのカンナミは?

 このカンナミは、クサナギが持つ別人格だと思います。「主人公はそれぞれ1名」という森さんの言葉を厳密に捉えてエピローグも含まれると考えます。すると「クレィドゥ~」の「僕」が、クサナギではないカンナミだとすると、サガラやカイの態度が説明できません。
 また、「僕は、あなた以外じゃない(ダウン~248)」など、シリーズの複数の場所にクサナギとカンナミが同一人物であることを暗示する部分があります。「ドール・グローリィ」でミズキがカンナミに言う「お姉さまのために編んだのよ」というセリフ(イクリプス209)は決定的とも言えます。
 さらに、森さんがシリーズのもとになっているとした映画「ロスト・ハイウェイ」は、途中で主人公が入れ替わるのですが、実は「それは1人の人物で、片方はもう片方が作り出した別人格」という内容です。これらを考え合わせれば、いわゆる二重人格あるいは多重人格がストーリーに取り入れられていると考えるのが妥当だと思います。

謎3:では、カンナミは実在しなかったのか?

 カンナミは実在したと思います。「クレィドゥ~」のエピローグ以前にカンナミが登場するのは、「ダウン~」の病院で2回、研修会で2回、夢で2回です。夢はともかく、病院の1回、研修会の1回は、看護婦や他の研修生など他の人間が同時にいます。研修会ではカイから参加者は全員パイロットで17人と伝えられ(ダウン~117)、実際にカンナミを入れて17人いました。(もう1人いましたが、その人はパイロットではありません)
 病院と研修会の残る1回ずつのカンナミは、もしかしたらクサナギの幻覚かもしれません。しかし、その後の展開を見ると、この時はクサナギが妊娠によってキルドレではなくなっている時期です。「他人の人生が自分の中に入り込んでくる」のがキルドレが持つ症状(イクリプス225)だとすれば、キルドレではないこの時期に覚醒時に幻覚を見たとする積極的な理由がありません。クサナギの記憶に残っていたこの出会いが、「クレィドゥ~」のエピローグで別の人格として発現したのではないでしょうか。

謎4:では、クリタはどうなのか?

 
クリタも実在したと思います。クリタが初めて登場するのは、「ナ・バ・テア(180)」です。その後、クサナギやササクラと一緒に転属して、「フラッタ~」の主人公になったようです。「スカイ・クロラ(302)」で、ミツヤが「貴方はクリタさんの生まれ替わり」とカンナミに言うところが謎めいていますが、この話は森さんの「MORI LOG ACADEMY」での答えに反するので、取り上げなくて良いと思います。
 もちろん、「ナ・バ・テア」の栗田と「フラッタ~」のクリタが同一人物である証拠はありません。しかし、「ナ・バ・テア」で登場、「フラッタ~」の主人公となって、その後なんらかの理由から逃走中にクサナギに撃たれる(イクリプス196)、という流れで破たんするところはありません。

謎5:ミズキはクサナギの妹なのか娘なのか?

 ミズキはクサナギの妹だと思います。ミズキが初めて登場するのは「フラッタ~(194)」のクサナギの母の葬儀でです。この時の年齢は分かっていませんが、一人でクリタの前に現れたことから、幼く考えても4~5才にはなっているはずです。
 一方「フラッタ~」でクリタが「草薙水素とは、もうけっこう長い。一年以上彼女と飛んでいる。」と思う場面があります(フラッタ~41)。クサナギの妊娠は「ナ・バ・テア(180)」でクリタがクサナギの基地に転属してきた後の出来事ですから、ミズキが娘だとするには年月が足りません。もちろん、5年だって「一年以上」には違いありませんが、「一年と少し」という意味に取るのが妥当だと思います。
 また、謎4でも触れたように「ナ・バ・テア」の栗田と「フラッタ~」のクリタが同一人物ではないという可能性は残ります。しかし、子どもはティーチャが引き取って育てているはずで、クリタが「フラッタ~(270)」で遭遇していることから、少なくともこの時には現役なので、クサナギが妹として引き取る必然性がありません。また、引き取るためには、ティーチャと連絡を取りあって子どもの養育について話し合う、ということが必要ですが、どちらもそのようなことをするキャラクターではないと思います。そのようなムリを考えるよりは、母が違う妹とする方が良いと思います。

謎6:クサナギとフーコはいつ仲良くなったのか?

 「フラッタ~」と「クレイドゥ」の間の空白の期間だと思います。「クレィドゥ~」の「僕」がクサナギだとすると、フーコはなぜクサナギと逃げているのでしょうか?いつ、そんな間柄になったのでしょうか?その辺りのことは書かれていないため、推察することしかできません。
 クサナギが初めてフーコに会ったのは「ナ・バ・テア(113)」で、路上に寝ているフーコをバイクではねそうになった時と、ティーチャと娼館へ行った時(ナ・バ・テア249)。その後はフーコの口からクサナギの話題が出る(フラッタ~61)、といったことが2人の関係に言及した部分です。このことからは、一緒に逃亡するといった危険を冒すような関係は掴めないのですが、「スカイ・アッシュ」によれば、二人の関係が親密なものであったのは確かなようです。
 問題は「いつ?」ということですが、「フラッタ~」と「クレィドゥ~」の間の空白の期間であれば、充分な時間がある可能性があり、クサナギが非キルドレ化している期間でもあります。その間にクサナギは精神的にも安定し成長して、他人との関係を築くことができた、と考えることができます。

※「MORI LOG ACADEMY」は現在は閉鎖されていますが、森博嗣ファン倶楽部「森ぱふぇ」に寄贈され、会員登録(無料)すれば、閲覧することができます。
URL http://www.pure.cc/~pramm/morifan/index.html

 次回は最終回、「スカイ・クロラ」について少し詳しく考察します。

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