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2007年3月

2007年3月30日 (金)

時間はどこで生まれるのか

著  者:橋元淳一郎
出版社:集英社
出版日:2006年12月19日第1刷 2007年1月30日第3刷
評  価:☆☆(説明)

 本書が目的としているのは、現代物理学を踏まえた時間論の展開。それも、過去・現在・未来といった主観的な時間の観念がどこから発生しているか、というもの。
 これは、哲学の範疇の命題として捉えられることが多いがテーマなのだが、それを現代物理学の観点から捉えようという意欲的なものだ。

 しかし、意欲は善しとしても、結果的にはその目論見はうまくいかなかったようだし、私には合わなかった。著者も「読み飛ばして結構」と書いているが、6割は現代物理学の解説に割いてしまっているし、これが難解さをぬぐえない。
 原子のレベルのミクロの世界では、色や温度という概念が消滅してしまうように、時間や速さといった概念もなくなってしまう。少なくとも、過去や未来といった主観的な概念はない。ということを何度も繰り返し説明される。
 量子物理学の世界では常識なんだそうだが、専門外の者にとってはすぐには胸に落ちない。非常に短いかもしれないけれども、我々が感じる時間の断片は、原子レベルでも存在するはずだと、私は思う。
 しかし、それでは説明できない実験結果がある(らしい)。だから、「原子レベルでは時間は存在しない」という結論になっているそうだ。しかし、これって証明の仕方として問題はないのだろうか?
 「無い」ことを証明するのは、「有る」ことを証明するのより何倍も難しいということは分かる。しかし、「有る」ということにすると説明ができないからと言って、「無い」ことの証明には不足だと思うがどうか。見落としている新事実があるかもしれないのだから。私などより、よほど論理的だと思われる科学者たちは、こういう論法を素直に受け入れられるのかな。

 話が脇にそれてしまったが、タイトルの「時間はどこで生まれるのか」について。これは、「エントロピー増大の法則によって無秩序に向かう世界に抗して、生命という秩序を守る意思が時間を生み出した」というのが本書の解答である。
 自らが意思を持つことによって未来が生まれる。それが主観的な時間概念になる、というわけだ。まぁ、こういう結論もアリでしょう。しかし、現代物理学を持ち出す必要はなかったんじゃないでしょうか?
 

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2007年3月15日 (木)

ゲド戦記外伝

著  者:ル・グウィン 訳:清水真砂子
出版社:岩波書店
出版日:2004年5月27日第1刷 2005年12月26日第4刷
評  価:☆☆☆☆(説明)

 これまでのゲド戦記で語られた物語の300年前から同時代の5つの短い物語と、アースシー世界の解説が収められている。
 著者が構築した世界観を知るには良い作品集だ。ロークの学院の起こりや、ゲド戦記の登場人物たちに厚みを持たせるエピソードなどが分かる。

 中でも重要と思われるのが、最後に収められた「トンボ」という100ページの中編。これは、第4巻「帰還」の数年後、第5巻「アースシーの風」よりは前の物語で、第5巻で十分な説明もなく登場するアイリアンの話だ。この中編のなかで、大賢人がいなくなってしまったロークの学院は危機に瀕し、アイリアンがこれを克服する。4巻と5巻を橋渡しする物語だ。
 原書では、この外伝は第5巻の前に出版されているので、順番としては順当だ。日本では逆になっているのだが、岩波書店はどういうつもりでそうしたのだろう。5巻まで読んだ読者には必読の書だと思う。

 ところで、著者は4巻「帰還」から10年以上の歳月を空けて、この「外伝」を出している。前書きに「ちょっと覗いてみると、私が見ていなかった間に、アースシーではいろいろなことが起きていた」と書いている。作家らしい気の利いた物の言い様だとは思うが、私はワザとらしさを感じて好かない。

そうそう、「トンボ」に、「外より内はずっと大きい」という言葉がでてくる。この言葉は、ルイスのナルニア国物語7巻「さいごの戦い」にも出てくる。もしかしたら、欧米では慣用句なのかも。

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2007年3月 1日 (木)

アースシーの風 ゲド戦記5

著  者:ル・グウィン 訳:清水真砂子
出版社:岩波書店
出版日:2003年2月20日第1刷
評  価:☆☆☆☆(説明)

 ゲド戦記の第5巻。第4巻のタイトルが「帰還 ゲド戦記最後の書」だから、言葉通り素直に受け取れば、一度終わりにしたものを、もう1度復活させた、ということだ。
 3巻と4巻の間にも18年の間隔があり、4巻と5巻の間も11年空いている。これだけの時間を要したのは何故なんだろう。

 4巻は「最後の書」でありながら、何か完結した感じがしないものだった。多くのことが宙ぶらりんのままだった。ゲドは戻ってきたけれどその後はどうなるのか?そして最大の謎は、「テハヌーとは何者なのか?」だ。4巻で竜のカレシンに「娘よ」と呼ばれたのだから、やはり竜なのか?
 本書の最大のテーマも「テハヌーとは何者なのか?」だと思う。彼女は何をしてくれるのか?何ができるのか?1冊を通してこの疑問というか期待がストーリーを引っ張っている感じがする。
 思うに、3巻「さいはての島へ」以来の完成度の高い作品だと思う。今度こそ長い物語が完結した、と思える終わり方だった。

 話は戻るが、「テハヌーとは何者なのか?」というテーマを通じて、4巻と5巻は1つの物語になっている。4巻のドラマの少なさも中途半端な終わり方も、「テハヌーの物語」の前編と思えば納得もいく。著者だって、4巻の終わりの時点で、テハヌーが何者であるかの考えはあったはずだ。それなのに、なぜ4巻は「最後の書」なのか?なぜ5巻までに11年も空いてしまったのか?

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