2.小説

2017年7月 5日 (水)

楽園のカンヴァス

著  者:原田マハ
出版社:新潮社
出版日:2012年1月20日 発行 2013年1月15日 21刷
評  価:☆☆☆☆(説明)

 今年の本屋大賞第6位の「暗幕のゲルニカ」の著者による2012年の作品。こちらは山本周五郎賞受賞作で、本屋大賞は第3位だ。著者は、デビュー11年で小説作品が40作あまりという多作な作家だ。その中で「暗幕のゲルニカ」と本書には多くの共通点がある。

 主人公はティム・ブラウン。30歳。ニューヨーク近代美術館(MoMA)のアシスタント・キュレーター。彼の元に上司のチーフ・キュレーター宛の手紙が誤って届く。上司の名前はトム・ブラウン。差出人がタイプミスをしたらしい。その手紙には「アンリ・ルソーの未発見の作品の調査をしてもらいたい」と書いてあった。

 ティムは上司のトムに成りすまして、調査を依頼してきた「伝説のコレクター」の元に駆けつける。そこにはティムと同じように調査を依頼されたもう一人の研究者、オリエ・ハヤカワが居た。二人でそれぞれ真贋の判断と講評を行って、より優れた講評をした方に、「取り扱い権利」を譲渡する。依頼の意図はそういう趣向のゲームへの参加だったのだ。

 これは面白かった。ちなみに私は4月に本屋大賞の予想をした時に、「暗幕のゲルニカ」を「大賞」と予想している。その「暗幕のゲルニカ」とも甲乙をつけ難い。

 「多くの共通点がある」と先に書いた。それは例えば両作品とも、絵画を巡るアートミステリーであること、異なる時代を行き来してストーリーが進むこと、異なる時代は一見すると断絶しているけれど、実はつながりがあること、などなど。そして何よりも読者を絵画の世界に引き込むこと。

 実は、ティムの元に件の手紙が届くのは第二章で、物語のプロローグともいえる第一章が、(当たり前だけれど)それより前にある。そこは、第二章の17年後の日本、早川織絵(オリエ・ハヤカワ)が倉敷の大原美術館で監視員として登場する。そして、ティム・ブラウンはMoMAのチーフ・キュレーターになっている。この第一章の存在が、物語を数段面白くしている。満足。

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2017年6月21日 (水)

麻布ハレー

著  者:松久淳+田中渉
出版社:誠文堂新光社
出版日:2017年3月8日 発行
評  価:☆☆☆(説明)

 ずいぶん前になるけれど、このお二人(松久淳さんと田中渉さん)の著者のコンビの「天国の本屋」という一連のシリーズを読んだ。その後「天国の本屋~恋火」という竹内結子さん主演の映画にもなったのだけれど、心に染みる物語だった。そういうことで本書も手に取ってみた。

 タイトルの「麻布ハレー」の「ハレー」は、ハレー彗星の「ハレー」。約76年周期で地球に接近する。この前にやって来たのは1986年。さらにその前は1910年。そのころ、今の国立天文台の前身になる天文台が麻布、あの都会の真ん中「東京都港区の麻布」にあった。本書はその麻布天文台を舞台の中心とした物語。

 主人公は佐澤國善。24歳。岩手から上京して早稲田の文学部に進み、作家を志した。大学卒業後も作品を文学雑誌に持ち込んでいるが、不採用を繰り返している。定職には就かず、下宿先の一人息子である小学生の男の子、栄の遊び相手兼家庭教師などをしている。物語は麻布天文台に忍び込んだ栄を、國善が迎えに行くところから始まる。

 麻布天文台には魅力的な人々が居たし、多士済々が集っていた。台員は台長以下7名。誰もが小学生の栄に丁寧に天文のことを教えてくれる。栄も驚くほどの勢いで知識を吸収した。ハレー彗星が近づいていることもあって、政府や海軍の関係者や新聞記者なども出入りしていた。

 先に「國善が迎えに行くところから始まる」と、物語の始まりを紹介したけれど、ページ順で言うとこれより前がある。それは1986年、つまり次にハレー彗星が近づいたときのエピソードが短く挿入されている。そして、さらにその前に、場所も時代も不明の場面が描かれている。

 これらは著者が用意した「時を越えた仕掛け」になっている。また、ネタバレになってしまうので具体的には言わないけれど、この物語には、様々な実在の人物や物事などをモチーフとしたものが取り込まれている。著者は楽しめる工夫を何重にも施してくれている。面白かった。

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2017年6月18日 (日)

不時着する流星たち

著  者:小川洋子
出版社:KADOKAWA
出版日:2017年1月28日 初版発行
評  価:☆☆☆☆(説明)

 著者の小川洋子さんの作品はそれほど多く読んでいない。これまでに読んだのは「博士の愛した数式」「猫を抱いて象と泳ぐ」「人質の朗読会」、そして樋上公実子さんの絵に小川さんが文をつけた「おとぎ話の忘れ物」。どれも情景が思い浮かぶ静かな余韻が残る、しかしそれぞれに特色のある四様の物語だった。

 本書は10編からなる短編集。実在する人物や出来事からの連想によって、著者が紡ぎ出した物語たち。連想の元になった人物には、グレン・グールドやエリザベス・テイラーといったスターもいれば、長大な物語を記しながら誰にも見せることなく生涯を閉じた作家、ヘンリー・ダーガーのように、世界の片隅で異彩を放つ人もいる。

 10編を順に簡単に紹介する。母の再婚によって同居することになった「誘拐されていた」という姉の話。文字に似た形の小石を探して歩く男性の話。飛行場でカタツムリのレースを客に見せている男性の話。「放置手紙調査法」という心理学の実験の補助員の話。あらゆる場所の距離を歩数で測量する盲目の祖父の話...。

 葬儀に呼ばれて参加する「お見送り幼児」の姪を連れた女性の話。外国に一人で暮らす息子のところを訪ねた母親の話。若草物語の四姉妹を友達と繰り返し演じる少女の話。授からなかった子どもの代わりに文鳥を飼って可愛がる夫婦の話。主人公の少女のお願いを「アイアイサー」と言って聞いてくれる叔父さんの話。

 何か少しだけ、でも決定的におかしい。例えると「リアルな夢」。そんな物語をたっぷりと楽しめた。狂気と隣り合わせの不穏な感覚、どこにも行き着かないような不安感、輪郭が不明瞭な視界、常軌を逸した出来事とそれを受け入れている主人公。「不完全」な登場人物たち。「リアルな夢」は時として「怖い夢」に転化する、その予感が漂っている。

 この「予感」を、タイトルにある「不時着」という言葉が象徴している。「墜落」ではないので破滅は免れている。でも、明らかに変則的でまともではない事態で、一歩間違えると..という危うさを内包している。

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2017年6月 4日 (日)

我ら荒野の七重奏

著  者:加納朋子
出版社:集英社
出版日:2016年11月10日 第1刷発行
評  価:☆☆☆(説明)

 著者の2010年の作品「七人の敵がいる」の続編。

 主人公は「七人の敵がいる」と同じく山田陽子。出版社の編集者でモーレツに忙しい。息子の陽介くんと夫の信介との3人家族。前作で陽子は、PTAや自治会などで、けっこうハデなバトルをやらかしている。

 本書は、前作の直後で陽介くんが小学校6年生の時、信介の上司の中学生の息子、秀一くんの吹奏楽の発表会から始まる。秀一くんのトランペットに感激した陽介くんは「秀一くんの学校に行きたい。吹奏楽部に入って、トランペット吹きたい」と、中学受験を決意する。

 職場でも「ブルドーザー」と呼ばれている陽子だけれど、陽介くんのことになると、さらに猪突猛進の度合いが高まる。陽介がN響でピカピカのトランペットを華麗に吹きこなす姿まで想像する。本書は、こんな感じの陽子が、陽介の中学3年までの吹奏楽部の活動に伴走する姿を描く。

 楽しめた。若干ひきつりながらではあるけれど。「あとがき」に「匿名希望の某お母様及びそのお嬢様」に取材したとあるけれど、エピソードの細かい部分までがリアルだ。「仰天エピソード」はフィクションだと思うから笑える。「これマジだわ」と感じるとそうはいかない。「ひきつりながら..」というのはそういう意味だ。

 吹奏楽のパート決めの悲喜こもごもも、会場取りのための努力も、保護者やOBからのプレッシャーも、いかんともし難い実力差も..脚色はあっても創作はない。我が家の娘二人も中学では吹奏楽をやっていた。私自身が経験したことではないけれど、こういう話はよく耳に入って来た。

 陽子の「ブルドーザー」ぶりは相変わらずだけれど、学習したのか少しうまく立ち回れるようになった。正論をはいて敵を作ってしまうけれど、結局たいへんな仕事を担って、改善も実現して役にも立っている陽子を、助けてくれる「チーム山田」的な人も現れた。「一人で猪突猛進」よりも、「チームで解決」の方がスマートなのは言うまでもない。

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2017年5月 7日 (日)

これは経費で落ちません! 経理部の森若さん

著  者:青木祐子
出版社:集英社
出版日:2016年5月25日 第1刷 2017年2月28日 第9刷発行
評  価:☆☆☆(説明)

 昨年5月の発売以来、じわじわと部数を伸ばして重版を重ねて、私が購入した本を見ると、1年足らずで9刷になっていた。どうやら先月には続編も出たらしい。

 主人公は森若沙名子。27歳。天天コーポレーションという石鹸や入浴剤、化粧品などのメーカーの経理部に勤めている。社員が持ってくる領収書の経理処理をする。中には用途不明にものもあり、物語の冒頭に受け取った領収書には「4800円、たこ焼き代」と書いてあった。

 タイトルからは「たこ焼き?これは経費で落ちませんよ!」という流れが想像できるし、物語自体も「経費使い込み社員vsそれを見破る経理部員」式かと思われる。ところが「たこ焼き」は経費で落ちるし、物語もそういうものではない。

 ではどういう物語かと言えば、天天コーポレーションの営業部や秘書課や開発室で起きる、ちょっとした事件簿だ。大きな犯罪というよりは、駆け引きや行き違い。森若さん自身の恋や身の上のことも少しある。

 面白く読めた。「使い込みを見破る経理部員」の話でなくてよかった。巨悪に立ち向かう「正義」はカッコいいけれど、社内規定に合わない領収書をはねつける「正義」はウケないし(もちろん必要な正義だとは思うけれど)。

 森若さんは経理担当らしく、几帳面だし情に流されることもない。しかし「正義」の人でもない。彼女が心に留めているのは「フェア」ではなくて「イーブン」であること。互いに得るものがあれば「公正」や「公平」にはこだわらない。そういう主人公の態度が、この物語を小気味よいものにしている。

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2017年4月22日 (土)

ハリネズミの願い

著  者:トーン・テレヘン 訳:長山さき
出版社:新潮社
出版日:2016年6月30日 発行 8月5日 4刷
評  価:☆☆☆(説明)

 今年の本屋大賞の翻訳小説部門の第1位。

 著者はオランダの作家・詩人。子どもたちのために動物が主人公の絵本や物語を、30年以上にわたって書き続けてきた。本書は、近年大人向けに発表している「どうぶつたちの小説」シリーズの中の一冊。森に一人で住んでいるハリネズミが主人公の、59章からなるお話。メルヘン。読む前は「ハリネズミのジレンマ」が思い浮かんだけれど、そうではなかった。

 ハリネズミは動物たちに手紙を書いた。「親愛なるどうぶつたちへ/ぼくの家にあそびに来るよう、/きみたちみんなを招待します。」...その後に書き足した。「でも、だれも来なくてもだいじょうぶです。」...手紙は戸棚の引き出ししまって、送るのはやめた。お客様に来て欲しいけれど、本当に来たらどうしよう、という逡巡が分かる。主人公のハリネズミはそういう性格。

 斯くして自分の頭の中でお客様が来た時のことを思い浮かべる。もしもヒキガエルが来たら、もしもサイが来たら、もしもクマが来たら、もしも...。誰が来たとしても、思う浮かぶのは「大変なことになる」ことばかり。ヒキガエルは怒りまくって、サイには宙に放り投げられ、クマはハチミツを一人で平らげたあと、家中を探してもうお菓子がないと分かると帰ってしまった。

 まぁこんな感じで、ほとんどハリネズミの空想が最後まで続く。たくさんの動物が出てるけれど、ハリネズミが実際に会ったのは「アリ」と「リス」だけだ(と思う)。

 引っ込み思案のハリネズミくんの空想は、それぞれの動物の雰囲気に何となく合っていて、時にバカバカしいぐらい大げさで、まぁまぁ笑える。ハリネズミくん自身にとっては、大変な目に合っているんだけれど、どっちにしたって空想だから、実害はないし。それにいいことだってちゃんとある。

 ただ、「大人向けに発表している」ということだけれど、楽しむには子どもの視点が必要かも。例えば子どもに話してあげるとか。一章ずつ少しずつ読むのもいいかもしれない。著者は長年、52個の物語を書いて「週めくりカレンダー」に仕立ててきたそうだから。

 実際に会った「アリ」と「リス」の時は大変なことにならない。「心配しているようなことにはならないから、やってみればどう?」。そんなメッセージも潜んでいるのかもしれない。 

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2017年3月29日 (水)

恋のゴンドラ

著  者:東野圭吾
出版社:実業之日本社
出版日:2016年11月5日 初版第1刷
評  価:☆☆☆(説明)

 「疾風ロンド」「雪煙チェイス」のスキー場シリーズで舞台となった、「里沢温泉スキー場」で巻き起こるラブコメディ。「ゴンドラ」「リフト」「プロポーズ大作戦」「ゲレコン」「スキー一家」「プロポーズ大作戦 リベンジ」「ゴンドラ リプレイ」の7編からなる連作短編。

 各短編ごとに主人公が変わる。最初の「ゴンドラ」と次の「リフト」で8人の男女が登場する。全員、都内のリフォーム会社やデパートやホテルで働く社会人。この8人の誰かが、その後の短編で入れ替わりで主人公となる。誰々は誰々が好きだとか、くっつけようだとか、浮気したとか許さないとか、ダメだと思ってたけど見直したとか...そういう物語だ。

 最初の「ゴンドラ」だけあらすじを。主人公の広太は33歳。合コンで知り合った桃実とスノーボード旅行に来ていた。彼女との初めての旅行に悦びを噛みしめていた。ところが二人が乗った12人乗りゴンドラに、同棲相手の美雪が乗って来た!あろうことか広太は美雪と結婚の約束までしていた..。

 面白かった。広太の絶体絶命のピンチだけれど、まったく同情の余地がない。どんなヒドイ目に会おうと知ったこっちゃない。そうなると他人の不幸も、傍目から見てこんな楽しい見世物はないってことになる。まぁ、美雪さんはかわいそうだけれど。

 他の作品も、当人たちにはけっこうキツイ出来事かもしれないけれど、傍観者としては面白可笑しいとか、ちょっといい話とかの、エンタテイメントに仕上がっている。だいたい男がダメダメな感じなんだけれど、物語の中でちょっとだけ成長する。...広太を除いては(笑)。

 「疾風ロンド」「雪煙チェイス」の「あの人」もちょっとだけ登場する。

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2017年3月22日 (水)

蜜蜂と遠雷

著  者:恩田陸
出版社:幻冬舎
出版日:2016年9月20日 第1刷 2017年1月25日 第10刷 発行
評  価:☆☆☆☆(説明)

 2016年下半期の直木賞受賞作。本屋大賞ノミネート作品。

 本書の舞台は「芳ケ江国際ピアノコンクール」。3年ごとに開催され、「ここを制した物は、世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」というジンクスがある「登竜門」的なコンクール。本書は、その出場者や関係者たちを主人公とする群像劇だ。

 主人公たちをざっと紹介する。審査員の嵯峨三枝子、出場者でかつてピアノの天才少女と言われた栄伝亜夜、28歳でコンクールの最年長出場者の高島明石、最有力出場者のマサル・カルロス・レヴィ・アナトール。この他にも、審査員をしている三枝子の前夫、亜夜に付き添う先輩、明石を取材する高校時代の同級生の女性等々、多くの人が描き込まれている。

 そしてもう一人、出場者の風間塵。トリックスター的な役割で物語を途中まで牽引する。このコンクール出場までの経歴がほとんど分からない。分かっているのは、養蜂家の父について転々と移動しながら、有名な音楽家の指導を受けたらしいことだけ。彼の演奏は、それまでの常識を破るものだった。それを聞いたある者は感動に震え、ある者は「こんなものは音楽への冒涜だ」と怒りに震えた。

 つまり役者が揃っている。それぞれのドラマを描けば、よい読み物になることは、著者の筆力を考えれば約束されたようなものだ。ただ、それだけではなかった。

 物語は、コンクールのオーディション、一次予選、二次予選、三次予選、本選、を順に描く。主人公たちの演奏は欠かさず描き、その他の出場者のものも少なくない。数えてはいないけれど、20以上の演奏シーンを言葉だけで表現していることになる。飽きないの?...まったく飽きない。

 以前に私は、中山七里さんの「さよならドビュッシー」のレビューで「文章の力」として、「本書からは「音楽」が聞こえて来る」と書いた。そのレビューの中で、本書の著者の恩田陸さんの「チョコレートコスモス」は「女優の演技が目の前に立ち現れた」とも書いた。

 本書は、その文章の力で「音楽」と「映像」の両方の感覚を呼び覚ます。帯に「著者渾身」と書かれているのは誇張ではないのだろう。

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2017年3月19日 (日)

i(アイ)

著  者:西加奈子
出版社:ポプラ社
出版日:2016年11月29日 第1刷発行
評  価:☆☆☆☆(説明)

 本屋大賞ノミネート作品。以前に読んだ直木賞受賞作の「サラバ!」がとてもよかった。私はその年の本屋大賞の予想で「サラバ!」を大賞にしていた。実際の結果は2位だったけれど、それでも多くの支持を集めたことには違いない。

 本書の主人公はアイ。フルネームは「ワイルド曽田アイ」。アメリカ人の父と日本人の母を持っている。物語の初めには高校1年生だった。本書冒頭の一文は「この世界にアイは存在しません。」これは数学教師が虚数のiを説明した言葉だけれど、この一文は意味合いを変えて度々登場することになる。

 アイは両親と血がつながっていない。シリアで生まれたアイは、まだハイハイを始める前に養子として両親の元にやって来た。小学校まではニューヨークで暮らし、中学入学に合わせて日本に来た。両親は愛情を込めてアイを育てた。

 その愛情にアイは苦しんだ。自分が「不当な幸せ」を手にしているという気持ちが心から離れない。素直に感謝できないなんて許されない、という気持ちが、二重にアイを苦しめた。それほど繊細な子どもだった。

 本書には「サラバ!」との共通点がある。主人公が中東の生まれであること、あまり積極的に物事に関わらないこと。その主人公の半生を描いた物語であること。もちろん違う点もある。「サラバ!」では騒動は主人公の周辺で起きたけれど、本書ではアイの内面で起きる。もどかしくなるほど内省的な主人公なのだ。

 物語には、9.11から始まって、天災やテロなどの現実に起きたたくさんの事件についての記述がある。遠く離れた場所の不幸さえ、アイは抱え込んで、内へ内へと閉じこもってしまう。ただ、たった一人の親友が外の世界への窓となる。一人でもそういう人がいれば救われる。そんな物語。

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「i(アイ)」 固定URL | 2.小説 | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年3月 8日 (水)

ツバキ文具店

著  者:小川糸
出版社:幻冬舎
出版日:2016年4月20日 第1刷発行
評  価:☆☆☆(説明)

 本屋大賞ノミネート作品。この著者の作品は「食堂かたつむり」に続いて2冊目。

 主人公は雨宮鳩子、親しい人からは「ポッポちゃん」と呼ばれている。20代。鎌倉にある「ツバキ文具店」を、祖母から継いで営んでいる。ツバキ文具店には、文具屋以外にもう一つの仕事がある。代書屋。他人に代わって書や手紙を書く。雨宮家は由緒ある代筆を家業とする家系で、ポッポちゃんはその11代目だ。

 だいたいのことはメールで済ますことができるご時世でも、手紙の代書の依頼がけっこう来る。ただ「きれいな字で」という清書ではなく、手紙の文面を含めてという依頼。それも「お悔やみ」とか「離婚の報告」とか「断り状」とか「絶縁状」とか、かなり難易度の高いものばかりだ。

 来るお客たちは、もつれた事情をそれぞれに抱えている。だからこそ「手紙の代書」などという回りくどいことを頼んでくるのだ。そしてポッポちゃんの手紙は、そのもつれた事情をやさしくほぐす。文面はもちろん、文字の形、使う紙、筆記具、切手までに、心を行き届かせた手紙を作る。

 「食堂かたつむり」の料理が、お客の心を解きほぐすのと似ている。そして主人公自身も、もつれた事情を抱えていて、誰かに解きほぐしてもらうことを待っているのも同じ。読んでいる私の心もほぐれてくる感覚(元々大した事情を抱えているわけではないけれど)。

 それから本書はよくできた鎌倉ガイドになっている。主人公が訪れる神社仏閣はもちろん、食事に行くお店も一部を除いて実在する。映画化されれば「聖地」になるんじゃないの?と思っていたら、4月からNHK ドラマ10で、テレビドラマ化されるらしい。

参考:多部未華子さん主演「ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語~」制作開始!

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