2.小説

2019年7月21日 (日)

銀河鉄道の父

著  者:門井慶喜
出版社:講談社
出版日:2017年9月12日 第1刷 発行
評  価:☆☆☆☆(説明)

 宮沢賢治を身近に感じ、父のあり方を考えた本。

 2017年下半期の直木賞受賞作。

 本書は、宮沢賢治の父、政次郎を主人公として、宮沢賢治の生涯を描いた物語。膨大にある賢治本人の資料に比して、政次郎の人となりを伝えるものは少ない。著者は、その少ない資料を丹念に収集することで、「政次郎像」を形作って「史実に基づいたフィクション」を完成させた。

 冒頭は、京都に出張中の政次郎が、「男の子が生まれた」という電報を受け取るシーン。賢治の誕生の時だ。「ありがとがんす」「長男だじゃ」と口にするたび体温が上がる気がする。その足で東本願寺の閉まった門前に行き、「なむあみだぶつ」の称名をとなえた。

 賢治が生まれたのは明治29年(1896年)。政次郎はその時23歳。政次郎の家は、質屋、古着屋を営む地元でも有数の商家。政次郎が出張から戻って、玄関に出迎えにでなければ、妻が「粗忽物!」と叱られる。そんな時代、そんな身分、そんな暮らし。

 まぁ言ってみれば、男が必要以上に持ち上げられて威張っていた時代。そんな時代に、政次郎は賢治を(他の子どもたちも)慈しむ気持ちが、人一倍強かった。政次郎の父である喜助が「お前は、父であるすぎる」と言うほどに。この物語は、「家長としての威厳」と「父としての愛」の間を、政次郎が行ったり来たりする。「父としての愛」に振れた時に、著者が形作った「政次郎像」が浮かび上がる。

 まぁこれは物語だし時代も違う。「家長としての威厳」なんて求められることはあまりなく、「父としての愛」を素直に出しても(煙たがられることはあっても)いいのだから、今の父親はそこに葛藤はないのかもしれない。いや政次郎ほどに子どもに愛を注げるか?と聞かれると全く自信がない。

 宮沢賢治について。その作品から思い浮かべる「賢治像」とは、ちょっと違う賢治がこの物語には息づいている。でも「風の又三郎」も「雨ニモマケズ」も、この物語の中の賢治の人生の場所に、ピタリとはまっている。

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2019年7月14日 (日)

月の満ち欠け

著  者:佐藤正午
出版社:岩波書店
出版日:2017年4月5日 第1刷 発行
評  価:☆☆☆(説明)

 読んでいて「それでどうなるの?」と思い、読み終わって「これからどうなるの?」と思った本。

 2017年上半期の直木賞受賞作。

 主人公は小山内堅(つよし)。年齢は60すぎ。青森県八戸市に生まれて東京の私大を卒業後、石油の元売りの会社に就職。同郷の女性の梢と結婚し、娘の瑠璃が生まれ、まずまず順調な人生を送って来た。しかし、15年前に妻と娘を交通事故で亡くす。

 物語は、小山内が二人連れの母娘と面会する場面から始まる。そこから、小山内の記憶を辿り、記憶の中の人物が語った物語をなぞり、面会相手の娘が語る8年前の事件に耳を傾け、と、時代と場所を変えて縦横に展開する。時系列が少し混乱するかもしれないけれど、それでもそれほど困ったことにはならない。

 帯でも分かるのだけれど、本書のテーマは「生まれ変わり」だ。小山内が会っている母娘の娘の方の名前は「るり」という。小山内の亡くなった娘と同じ名前だ。るりは7歳なのに、8年前の事件のことを詳細に語る。生まれる前の記憶がある(としか考えられない)。実は、小山内の娘の瑠璃も、知るはずのない昔の歌謡曲を歌っていたことがあった。

 正直に言うと戸惑いを感じた。「生まれ変わ」ってでも前世の続きを生きようというのは、強い想いがあるからで、この物語の場合はそれは「愛」。それほどの強い愛に感動する人もいるだろう。でも、私はそうならなかった。そうならなかった理由も分かっている。重大なネタバレになるので、ここには書かない。

 最後に。「瑠璃も玻璃も照らせば光る」というフレーズは、意味も音もリズムもとても心地いい。

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2019年7月11日 (木)

傑作はまだ

著  者:瀬尾まいこ
出版社:文藝春秋
出版日:2019年3月8日 初版第1刷 発行
評  価:☆☆☆☆(説明)

 「こんな家族もありなのか?」と、戸惑いながらも暖かい余韻の残る本だった。

 「そして、バトンは渡された」で本屋大賞を受賞した著者の最新作。(そう言えばこの大賞受賞作も「こういう親子や家族もありか」と思った本だった)

 主人公は加賀野正吉、50歳。そこそこ売れている小説家。大学生で小説を書き始め、4年生の時に応募した文学賞で大賞を受賞してデビュー。週に1度ぐらい買い物や散髪、市役所や郵便局に出かける以外は、基本的に部屋でパソコンに向かって小説を書いている。

 そんな「引きこもり」生活の加賀野への来客から物語が始まる。面白いので冒頭の来客のセリフを引用する。

 「実の父親に言うのはおかしいけど、やっぱりはじめましてで、いいんだよね?

 加賀野には生まれてから25年間、一度も会ったことのない息子がいるのだ。名前は智(とも)。その息子が突然訪ねてきたのだ。加賀野はかつて合コンで出会った女性、美月と、酔った勢いで関係を持って子どもができた。二人で話し合って、結婚はしない、美月は産んで育てる、加賀野は養育費を送る、と決まった。それで加賀野は毎月10万円を20年間振り込み、美月は受取確認と智の写真を送り返してきた。

 フリーターとしてコンビニで働いている智は「仕事先が近い」という理由で、加賀野の家に住むことになった。物語は、加賀野と智の二人の暮らしを描く。基本的に加賀野が智に振り回されるのだけれど、自治会の催しに参加したりして、そのおかげで少しずつ外の世界とつながりを持つようになる。

 とても楽しめた。実は、智にはここにやってきた秘された理由があるのだけれど、それも含めて加賀野は孤立していたように見えて(両親とも28年会っていない)、支え手がちゃんとあったのだ。そういうところが心が温まる。

 身近な人で永らく音信を絶えている人がいたら連絡してみよう。未来が少しよくなるかも(ならないかも)

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2019年7月 4日 (木)

手のひらの京

著  者:綿矢りさ
出版社:新潮社
出版日:2019年4月1日 発行
評  価:☆☆☆☆(説明)

 京都の街の佇まい、夏の暑さに汗ばむ感じや、冬の寒さに身が引き締まる感覚を感じた本。

 主人公は京都で生まれ育った奥沢家の三姉妹。長女の綾香は31歳の図書館職員、次女の羽依は就職したばかりのモテ女子、三女の凜は味に関するタンパク質を研究する大学院生。子どもの頃から同じこの家で暮らしてきたけれど、性格は三人三様。でも、互いに悩みを相談し合う仲の良い姉妹。

 物語は、三人が順番に主人公になって、エピソードを積み重ねる形で進む。その背景に、京都の四季、鴨川などの風景、祇園祭などの行事、著者が「京都の伝統芸能」という「いけず」、といった京都の風物がちょうどいい塩梅で織り込まれている。

 「ちょうどいい塩梅」をもう少し詳しく。上にあげた「京都の紹介」は、あくまで背景で出しゃばらない。物語は三姉妹それぞれの、気付きと葛藤、自立や旅立ちが、しっかりと描かれている。それでも尚、目の前に京都の風景が立ち上がるし、「京都らしい」エピソードや姉妹の会話にニヤリとしたり、声を出して笑ったりしてしまう。

 著者は京都の出身だったんだ、と今回(たぶん)初めて知った。「蹴りたい背中」で芥川賞を受賞したのが2004年で今から15年前。その時は確か早稲田の学生だったからか、東京の出身だと思っていた。考えてみれば早稲田を東京出身と結び付けるなんて、愚かしいことだけれど。

 私は、学生時代の4年間を京都で暮らした。たった4年だけれど、特別な思い入れがある。本書(文庫本)の表紙が、鴨川(加茂川)の河原に座る三姉妹で、それだけで手に取ってしまったし、冒頭で凜が河川敷のベンチに腰かけて足を投げ出した先には、私も水の流れが見えた気がした。

 最後に。秋のもみじの葉を表現する美しい言葉に沁みいった。「心にある形の何かに似ている。痛み、憧憬、羨望。1枚拾って手のひらにのせると、もみじの葉が皮膚に溶け込んでいきそう。凝縮した赤がきゅっと小さくて、目に染みる。」

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2019年6月30日 (日)

旧友再会

著  者:重松清
出版社:講談社
出版日:2019年6月26日 発行
評  価:☆☆☆(説明)

 出版前のゲラを読ませてくれる「NetGalley」から提供いただきました。感謝。

 読んでいて昔のことを思い出して、じんわりと、しんみりとした本。

 本書は、2016年から2018年にかけて、文芸誌やアンソロジーに掲載された5つの短編を収録した短編集。表題作「旧友再会」と「あの年の秋」「ホームにて」「どしゃぶり」「ある帰郷」。5つの作品には共通点があって、どの作品も一つ前の時代、主人公の子ども時代とつながっている。

 主人公が私を同年代なのだろう。どの作品にもちょっと切ない共感を覚えたけれど、印象に残っているのは「旧友再会」と「どしゃぶり」の2つ。この2つには共通点があって、どちらも50代の男性が主人公で、どちらも子どもの頃の同級生と再会するところから物語が始まる。

 「旧友再会」は、家業のタクシー会社を継いで、自らも運転手を務める主人公が、東京から帰省した小・中学校の同級生を乗せる話。運転手と客、田舎に残った者と東京で出世した者。同級生なのに感じてしまう上下関係に、居心地の悪い思いをする。しかし、子どもの頃から苦手だったその同級生にも、ひとりで抱えているものがあった。

 「どしゃぶり」は、商店街で家具店を営む主人公の店に、中学の野球部で一緒だった同級生が、東京から帰省して訪ねてくるところから始まる。その同級生が、成り行きで母校の野球部の指導をすることになるのだけれど、自分の運動能力も部活のあり方も、昔とは全然違っていた。

 私は、故郷から遠く離れたところに住んでいる。だから「旧友との再会」は経験がある。立場としては帰省してきた同級生に近いけれど。実は、2つの物語には共通点がまだ2つある。子どもの頃はそんなに仲が良かったわけではないこと。帰省の目的が親の介護に関係すること。

 Facebookを始めて、私は、50になって同窓会に顔を出すようになった。同級生ともたくさん「再会」した。この設定がどんなにリアルか分かる。そして「同級生」というだけで「友だち」になれるし、「友だち」のためなら何かしてあげよう、とも思う。この2つの物語の主人公のように。

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「旧友再会」 固定URL | 2.小説28.重松清 | コメント (0)

2019年6月23日 (日)

椿宿の辺りに

著  者:梨木香歩
出版社:朝日新聞出版
出版日:2019年5月30日 第1刷発行
評  価:☆☆☆☆(説明)

 不思議なことが当たり前に起きる、梨木作品の特長が心地いい本だった。あの作品につながるのか!も気持ちいい。

 主人公の名前は、佐田山幸彦。三十代。化粧品メーカーの研究員。名前について念を押すと、姓は佐田で名が山幸彦(やまさちひこ)。古事記や日本書紀にも記述がある「海幸彦山幸彦神話」の山幸彦だ。当然ながら海幸彦も登場する。主人公の従妹が海幸比子という名だ。

 主人公たちがこのような名前を授かったのは、二人の祖父が「正月元旦の座敷で、二人並べて「山幸彦、海幸彦」と呼んでみたい」という、ただそれだけの理由。主人公は、この名付けを親に抗議したが、女である従妹の方が自分より気の毒だと思っている。

 発端は「痛み」と「手紙」。山幸彦はこのころ肩から腕にかけての激痛に悩まされていた。痛み出すと一睡もできない。また、実家を貸している鮫島氏からの手紙を受け取った。「転居することになったから賃貸契約を打ち切りたい」という。「実家」と言っても、曽祖父母の代のもので、鮫島家が50年以上も住み続けている。山幸彦は行ったこともない。

 物語はこの後、坂道を転がるように、玉突きのように進む。従妹の海幸比子と会い、海幸比子の勧めで痛みの治療のために鍼灸院に行き、鍼灸院で「実家」のある椿宿の話を聞き...。その途中で時々不思議なことが起きる。亡くなった祖父が鍼灸師を通して忠告してくるとか。山幸彦は「祖父はきっと、私のことを信用していないのだ」と普通に受け止める。

 気が付かないうちに現実から異界に移っている。梨木さんの物語ではよくある。今回は、異界に移るというよりは、現実の世界に居たままでふっと異界が重なってくる、そんな感じ。そういうことを繰り返すうちに、一族の因縁に結び付き、けっこう壮大な話につながる。山幸彦の「痛み」もその一部となる。

 最後に。山幸彦の曽祖父の名は豊彦という。佐田豊彦。植物園の園丁兼植物学者だったという。間違いない。梨木さんの10年前の幻想的な作品「f植物園の巣穴」の主人公だ。「f植物園の巣穴に入りて」という書きつけも登場する。これは佐田家4代にわたる物語だった。

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2019年6月 2日 (日)

そして、バトンは渡された

著  者:瀬尾まいこ
出版社:文藝春秋
出版日:2018年2月25日 第1刷 2019年4月1日 第14刷 発行
評  価:☆☆☆(説明)

 「こういう親子や家族のあり方も悪くないな」そう思った本。

 今年の本屋大賞の大賞受賞作。著者は私が好きな作家さんのひとりだ。「戸村飯店青春100連発あと少し、もう少し」など、中高生のしなやかな感性を描いたものがとても楽しめた。本書は、本屋大賞受賞ということで、期待して読んだ。

 主人公は森宮優子。17歳。高校2年生。彼女には父親が3人、母親が2人いる。姓は水戸→田中→泉ヶ原→森宮と3回変わった。事情は物語が進むに連れて分かってくるけれど、まぁ両親の離婚が繰り返されたらしい。

 周囲は「つらいことは話して」と心配するけれど、優子自身は「少しでも厄介なことや困難を抱えていればいいのだけど」と、心配されることに申し訳なく思っている。幼いころから何度も両親が変わり、その度に生活も変わったけれど「全然不幸ではない」のだ。

 物語は、優子の高校生活、女友だちとの色々や男の子からの告白などを追いながら、優子が小学校に上がる前からこれまでを順に挟む形で進む。高校生活の部分は「あるある」な感じ、これまでの部分は多少ぶっ飛んでいる。ぶっ飛んでいるけれど、ギリギリで「あり得る」感じ。

 「悪くないな」と思った「親子のあり方」の一例を紹介。現在の父親の森宮さんは38歳。優子の継母の再々婚相手だ。もちろん血縁はない。でも、と言うかだからこそ、父親らしくあろうとしている(多少ユニークだけど)。その森宮さんに結婚相手の梨花さん(つまり優子の継母、優子の実父を入れて3人と結婚)が、こんなことを言っている。

 親になるって、未来が二倍以上になることだよ。自分の明日と、自分よりたくさんの可能性と未来を含んだ明日がやってくるんだ。

 森宮さんはそのことについてこう言っている。

 明日はちゃんと二つになったよ。自分のと、自分よりずっと大切な明日が、毎日やってくる。すごいよな。(優子はこれに「すごいかな」と疑問を呈する)

 正直に言うと、本屋大賞の大賞受賞作としては、「他と全然違う」という無二な感じがなくて、少しもの足りなかったけれど、私が好きな部類の作品。

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2019年5月29日 (水)

ある男

著  者:平野啓一郎
出版社:文藝春秋
出版日:2018年9月30日 第1刷 発行
評  価:☆☆☆(説明)

 愛する人の「過去」が偽りであったら「現在」の愛も偽りなのか?そんなことを問いかけるミステリー。

 今年の本屋大賞の第5位の作品。

 主人公は弁護士の城戸章良(あきら)。38歳。在日三世。横浜在住。かつて離婚調停の代理人を務めたことのある谷口里枝から、少し変わった相談を受けた。

 宮崎に戻って再婚した相手が事故で亡くなった。ところが「谷口大祐」と名乗ったその男は、全くの別人だったと分かった、というのだ。単なる偽名ではなく「谷口大祐」の戸籍は実在し、彼が語った経歴や家族とのエピソードは「谷口大祐」本人のものだった。

 そこで当然の疑問。里枝の夫だった男は、いったい誰で何のためにこんな手の込んだことをしたのか?城戸は、正式な仕事というよりは相談という形で調査を引き受け、弁護士としての仕事の傍ら、関係者から話を聞いて回る。物語は城戸自身の周辺の出来事を交えながら、この調査の進展を追う。

 物語の冒頭、里枝と「谷口大祐」の出会いから結婚までを、比較的丁寧に描く。戸籍まで変えて他人に成りすますなどという行為は、相当の事情がなければやらない。すぐに想像されるのは、何かの犯罪に関わっている、ということだ。ところが冒頭に描かれる里枝とのエピソードから浮かび上がる人物像は、、そういったこととは無縁のものだ。

 「谷口大祐」は全くの別人、それは分かった。では、里枝や子どもたちに見せた、あの人柄もニセモノだったのか?里枝の気持ちになって「そうではあって欲しくない」、そんな気持ちを私は持ちながら読み進めた。

 城戸の調査は、何枚もの薄い紙を1枚ずつはがしていくように進む。時に停滞し、ふとしたきっかけでまた進む。このエピソード要るのかな?と思うものもあるけれど、それが物語に幅とリズムをもたらしている。「別人として生きる」ということを選択した人々の悲哀と共に、淡い羨望を感じる。

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2019年5月26日 (日)

ひと

著  者:小野寺史宜
出版社:祥伝社
出版日:2018年4月20日 初版第1刷 2019年3月25日 第12刷 発行
評  価:☆☆☆☆(説明)

 誠実に、そして前を向いて生きていくって素晴らしい。そう思った本。

 今年の本屋大賞の第2位の作品。

 主人公は柏木聖輔。20歳。三年前に鳥取に住んでいたころ、父親が車の自損事故で亡くなった。飛び出してきた猫を避けようとしたらしい。保険金で父の多額の借金を返済。残ったお金で母親は、聖輔を東京の私立大学に進学させてくれた。そして先日、母親が病気に亡くなった。不幸が重なる。

 聖輔は大学を中退し職を探し始めるが、気持ちが切り換えられない。前を向けない。フラフラと街を歩いているうちに着いたのが江東区の砂町銀座商店街の揚げ物の総菜屋の前。所持金55円。唯一買えるのは50円のコロッケだけ。それなのに、横から来たおばあさんに1コしか残っていないコロッケを譲ってしまう。

 何が幸いするかは分からない。おばあさんにコロッケを譲ったことが、結果的に聖輔を前に進ませるきっかけになった。店主との短いやり取りの後、聖輔はこの総菜屋にアルバイトとして働くことになった。少しずつ人生の歯車がよい方に回り出す..

 世の中には「いい人」と「いい人じゃない人」がいる。本書はその対比を際立てた物語だった。

 例えば。総菜屋の店主の田野倉さんは、120円のメンチを50円にまけた上に、ハムカツをおまけしてくれた。「いろいろ事情がありまして」という聖輔を、深く尋ねずに雇ってくれた。いい人。遠縁の基志さんは「母親の葬儀を手伝った」ことを理由にお金をせびりに来る。いい人じゃない人。

 いい人じゃない人は「悪い人」とまでは言えない。基志さんだって葬儀を仕切ってくれた。もしいなかったら聖輔は途方に暮れていただろう。「悪い人」じゃなくて「ダメな人」。もう一人の「いい人はじゃない人」の例は、聖輔の同級生(女子)の青葉の元彼で有名私大の学生。「おれはちょっといい大学に行ってるけど、そんなことはなんでもない。青葉とも普通に付き合えるし、コロッケも好きだ」とかいっちゃう。やっぱり「ダメな人」

 物語は、最初は文字通りふらふらで自分を無くしていた聖輔が、「いい人」に助けられてしっかりと歩き出すまでを、温かみのある文章で綴る。他人との関りが、人の、特に若者の暮らしと成長には欠かせない。誠実に生きていれば「いいひと」が周囲に現れる。そんな気持ちを強くした。

 青葉が聖輔に言った言葉が印象的だった。「今の柏木くんが人にものをあげられるって、すごいね

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「ひと」 固定URL | 2.小説 | コメント (0)

2019年5月16日 (木)

美女と竹林のアンソロジー

著  者:森見登美彦、伊坂幸太郎、恩田陸、有栖川有栖、京極夏彦 ほか
出版社:光文社
出版日:2019年1月30日 初版1刷発行
評  価:☆☆☆(説明)

 知っている作家さん、初めての作家さん、いろいろな作家さんのテイストが楽しめる、詰め合わせギフトのような本だった。

 本書は、「竹林愛好家」の森見登美彦さんが「美女と竹林」というテーマで、他の作家さんに作品をお願いしてできたアンソロジー。「お願い」に応じた作家さんが9人。阿川せんり(敬称略。以下同)、飴村行、有栖川有栖、伊坂幸太郎、恩田陸、北野勇作、京極夏彦、佐藤哲也、矢部嵩。これに森見さんを加えた10人の「美女と竹林」(をテーマにした作品)を収録。

 まず、知っている作家さんから2人。伊坂幸太郎さんの「竹やぶバーニング」は、仙台の七夕祭りで使われている無数の竹の中から、「かぐや姫」が混入(!?)した竹を探す。「美女」で「かぐや姫」その人が登場するのも、「竹林」そのものが出てこないのも、他の作家さんにはあまりない特徴で、無二な印象を受けた。

 恩田陸さんの「美女れ竹林」。「美女らない、美女ります、美女れ、美女ろう」と活用する。このアンソロジー企画の依頼の場面から書き起こしたり、なかなかコミカルな感じで始まるのに、この物語がダントツで怖かった。そういえば恩田さんは、コミカルもホラーも書く人だった。

 次に、初めての作家さんから1人。佐藤哲也さんの「竹林の奥」には驚いた。23ページの作品全部が1段落で構成されているのだ。全編がワンカットの映画みたいだ。同じことを少しずつ表現を変化させて次の文に受け渡す。話もズルズルと物の位置がずれるように進む。一見して読みにくいだけでなく、確かに読みにくいのだけれど、不思議と最後まで読めた。

 有栖川有栖さんや京極夏彦さんの作品は、確かにそれぞれの方の特徴が感じられるのだけれど、なぜか「森見登美彦っぽく」感じた。それは、初めての作家さんの何人かの作品でもそう思った。ちょっと不思議。

 そうそう。森見さんには「美女と竹林」という作品がある。「妄想エッセイ」という森見さんにしかないジャンルの作品だ。

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